12月31日
佐久間は大きく伸びをして車を降りた。とたんに顔に刺さる冷気に、助手席に座っている間、膝掛け代わりにしていたコートを慌てて羽織る。そんな佐久間に笑みを浮かべつつ、理一は後部座席に置いていた荷物を取り出した。
理一の車の他にも数台が停まっている車止めは、綺麗に雪かきがなされている。ぐるりと巡らせた視線の先、しんと暗い庭は白一色。遠くに見える見事な枝振りの松の枝には綿帽子のように雪が積もっていた。
「佐久間くん?」
玄関へと向けた足を止めた理一に呼ばれた佐久間は慌てて振り返った。理一の手に自分の分の荷物まで握られているのを見て、慌てて駆け寄る。佐久間が差し出した手に、理一は小さく笑うとビニール袋と紙袋を一つづつ、差し出した。
「荷物、持ちますよ、自分の分くらい」
「いいから。それ、姉ちゃんに渡して」
言いながらさっさと歩き出す理一を追って、佐久間も慌てて足を進める。
玄関のたたきで足元にまとわりついた雪を払った理一は、がらがらと磨り硝子の引き戸を引いた。
「ただいまー」
理一が奥へと向かってそう声をかけるのに、後に続いた佐久間も外したマフラーでコートの裾についた雪をぱたぱたと払った。引き戸をきっちりと閉めたところで、奥の方から複数の足音が聞こえて来る。
「おかえり。ようやく帰って来たわね。あ、佐久間くん、いらっしゃーい」
先頭きって顔を出した理香がそう言うのに、理一は苦笑いを浮かべ、佐久間はぺこりと頭を下げた。
「お、来たね、少年」
続いて顔を出した直美がにやりと笑っていうのに、佐久間もへらりと笑みを返す。
「またお世話になります」
そこでハタと気付いて、持っていた土産物を思い出す。
「あ、これ、つまらないものですが」
「あら、気ぃ使わなくていいのに。悪いわね」
言いながら佐久間の差し出した二つの袋を受け取った理香がまず紙袋を覗き込むのに、倣った直美が目を輝かせた。
「あらー、随分気が利いてるじゃなぁい」
「ホント。…こっちは、まぁ、あんたのセレクトよね」
ビニール袋を覗き込んだ理香の言葉に、理一は悪びれた風もなく笑った。
「…そろそろ、上がってもいいかな? 姉ちゃん」
「今回は健二くん来ないって聞いてるけど、部屋どうする?」
夏に使ってもらった部屋でもいいけど、と佐久間に向かって言った理香に、理一がやんわりと割り込んだ。
「俺の部屋でいいでしょ」
理一の言葉に、理香はことりと首を傾げた。
「そ? 佐久間くんは? こいつと一緒でいい?」
「俺はどこでも」
理一を指差しながら言う理香の言葉に、佐久間は少々ぎこちなく笑って一つ頷く。
「んじゃ、布団運んで。仏間の隣の四畳半に置いてあるから。布団カバーとシーツもそこにあるし。適当に持ってって」
そう言ってさかさかと歩いて行ってしまった理香に「はーい」と間延びした返事を返して、理一はにこりと笑う。
「じゃ、佐久間くん。行こうか」
少々急で幅の狭い母屋の階段は使い込まれ、磨き込まれた飴色をしていた。二組分の布団を抱えた理一は、少しも揺らぐことなくその少々急な階段を昇って行く。それに、二人分の荷物と布団カバーやシーツを抱えて続きながら、佐久間は感心まじりのため息を一つついた。あれだけの荷物を抱えて少しも揺らがないとは、さすがは現役自衛官というべきか。
昇り切った階段の先、同じく使い込まれた飴色の廊下の奥から2つ目の引き戸を開けた理一は、慣れた風情で室内に足を踏み入れた。ぱちりと音がして蛍光灯の白い灯が室内を照らす。佐久間は理一に続いて足を踏み入れながら、物珍しげに室内を見回した。
八畳の和室。畳は焼けて乾いた色をしている。部屋の奥一面は窓になっていて、薄いグリーンのカーテンがかかっていた。その隙間から白い庭が見える。右側は半分が土壁に、残り半分が襖になっていて、左側は全てが襖だった。その土壁の前に大降りの本棚が一つと、分厚い天板の文机が一つ置かれている。それと、やけに真新しいオイルヒーターが一つ。
きょときょとと部屋を見回している佐久間に、理一は小さく笑うと声を掛けた。
「佐久間くん、シーツいい?」
「あ、はい」
慌てて歩み寄った佐久間に、理一は小さく笑った。
「そんなに珍しい?」
「珍しいっていうか…」
四枚ある敷き布団を二枚重ねて敷き、それに佐久間から受け取ったシーツを掛けながら言う理一に、慌ててシーツの反対側を持って引き寄せた佐久間は口ごもった。ぴんと張ったシーツの端を折り込みながら理一は次の言葉を促すように軽く首を傾げる。理一に倣ってシーツの端を折り込んだ佐久間は、並んだもう一つの布団にシーツを掛けながらぽりぽりと頬をかいた。
「なんか、理一さんの部屋だなぁって思って…」
「なにそれ」
面白そうに笑いながら理一は佐久間の持つシーツの逆側を引く。
「片付いてるっていうか、余計な物がないっていうか」
「そりゃ、年に片手で足りるくらいしか使わない部屋だからね。物を置いておいても意味が無いでしょ」
理一の言葉に佐久間はことりと首を傾げた。
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ。ほら、布団カバー、貸して」
慌てて傍らに置いていた布団カバーを理一に渡した佐久間は、もう一枚の掛け布団に手を伸ばしながら小さく息を吐いた。
4月に出た実家の佐久間の部屋は、以前のままになっている。なくなったのは、パソコンとパソコンデスク、本棚くらいなものだ。ベッドも布団も、引っ越しの時に新調したので、家に帰れば以前のままの部屋に泊まることができる。それを強行に勧めたのは母だ。母はいずれ自分があの家に戻ると思っているのだろう。実際、実家に帰った時に、それに近いことを言われたのは一度や二度ではない。
家を離れて何年も経てば、それこそ、自分が職を得れば、母の考えも変わるのだろうか、と佐久間は思う。実家には父も姉もいる。それでも、母にとっての家の単位にまだ自分が含まれていることを、重いと感じることもあるし、面映いと思うこともある。
布団カバーのジッパーを引き終えたところで、佐久間はふいに腕を掴まれて引き寄せられた。胡座をかいた理一の膝に乗り上げる格好になって慌てる。
「何、考えてたの?」
抗議の言葉を口にするより早く理一の低く抑えた声が耳元に落ちて、佐久間は思わず肩をすくめた。ちらりと見上げれば、いつになく真剣な目をした理一が見下ろしている。
「実家に買ってくお土産、何にしようかなって…」
実家の母のことを考えていました、とは言えずに、咄嗟にそう口にすると、理一はきょとりと一つ瞬いて、次いで小さく口元に笑みを浮かべた。
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