12月25日
12月25日
07:26
理一は愛車のシートに深く凭れてため息をついた。仮眠はとっていたが、流石に疲労は蓄積している。目の奥が重いし頭も重い。頭痛がないのがまだ救いかと思いながら目頭を押さえた。ちかりと星が舞うような感覚をやり過ごして手を離すと、数回瞬きをした。
今回の拘束期間は奇跡的な程に短かったと理一は思う。下手をしたらあと二、三日は拘束されるかもしれないと思っていたのだ。
理一はポケットから携帯を取り出すと着信したメールを確認する。大量に届いているメールの中に望んだ名前を見つけて、思わず口元が緩む。理一が送ったメールへの返信であるそれは、送ったメールよりも半日程遅れて送り返されていた。
他のメールはとりあえず無視して目当てのメールを開けば、ドット絵のサルがひらりと踊る。ボタンを操作して開いたメールに、理一は一瞬目を見開く。次いで緩んだ口元に手を伸ばして、ふっと息をついた。
件名もなにもなく、ただ本文の欄にたった三文字だけが表示されたメール。
理一は携帯をぱたりと閉じると、それをポケットに滑らせた。キーをひねると同時に振動した車体にクラッチをつないでギアを入れる。
佐久間のメールに答えるべく、理一は一般道へとハンドルを切りながらアクセルを踏み込んだ。
08:49
佐久間は耳元に感じる振動に眉根を寄せた。そのまま布団の中に潜り込もうとするが、あまりにしつこく続く振動に軽く唸る。留守電に切り替わったのもつかの間、ぷつりと切れてまた振動を始める携帯に、佐久間は渋々手を伸ばす。
ただ何となくつないでいたOZからログアウトして、ため息を一つついて。ベランダ側のサッシから流れ込む冷気に背を押されるように布団に潜り込んで。連絡はないだろうけれどと苦笑しながら枕元の充電器に携帯をつないで目を閉じたのは既に東の空が明るくなる頃だった。
佐久間は歪む目をこすりながら携帯をたぐり寄せ、着信を告げる携帯の時間表示を確認する。案の定、最後に同じ表示を見てからまだ左側の数字は二つしか増えていない。
佐久間はもそりと寝返りを打って、相変わらず振動を続ける携帯の表示に改めて目をこらした。そして、そこに表示された発信者とその名前の後ろで踊る緑色のアバターに、思わずがばりと起き上がる。とたんにめくれた布団の中に冷えた空気が流れ込んだが、佐久間はかまわずに通話ボタンをタップした。
少しだけ震える手で携帯を耳元に寄せれば、ここ一年程で嬉々馴染んだ声が名を呼んだ。
『佐久間くん?』
とたんに高鳴る胸に、佐久間は一つ息をつく。
「理一さん」
改めて佐久間は思う。自分は、この男が好きだと。
10:17
「先に連絡くれるとか…」
ソファに座って拗ねたように言う佐久間に、理一は小さく笑う。そんな理一を軽く睨むように見つめて、佐久間はほんの一時間と少し前の出来事を思い返した。
理一の電話で起こされた佐久間は、震えそうになる声を無理に押さえ込んだ。
「今、どこですか?」
そう言えば、小さく笑う気配がして、面白そうな声が軽く言う。
『下』
「した…?」
笑い含みの声に嫌な予感がして、ベッドを飛び降りるように降りた佐久間は、ベランダというにもおこがましいサイズの物干し台に続くサッシのカーテンを勢い良く引いた。きんと冷えた鍵を開けてサッシを引くと、裸足のままコンクリートの床へと一歩を踏み出す。
覗き込んだ視線の先、一方通行の細い道路に車を止めた理一が、そのドアに長身を凭れかけこちらを見上げて手を振っていた。
『約束通り、迎えに来たよ』
耳元に持ったままの携帯越しにそういう男に、佐久間は開けた口もそのままに、下を覗き込んだ姿勢のまま固まった。
肌を刺す寒さに我に返って、「とにかく車の中で待っててください!」と言い放った佐久間は、部屋の中に取って返すとぶちりと携帯を切った。ざぶざぶと顔をあらい、手櫛で寝癖を撫で付ける。オーナメントを飾り付けたツリーだとか、理一へのプレゼントだとかを乱雑に紙袋に突っ込み、いつものバックに財布や携帯、ミニノートを放り込んだ。慌てるあまり抜け損なったパジャマに足をとられながら着替えを済ませて、玄関の鍵を引っ掴むと外へと飛び出す。
震える手で鍵を閉めて、エレベーターの到着を待つ間も惜しく階段を駆け下りて玄関へ出れば、横から伸びて来た手に攫うように腕を引かれた。泳いだ身体が右に傾いで、気付いた時には理一の腕の中にいた。ずれた眼鏡のツルが頬に当たって少し痛い。背中に回された手に顔を上げれば、その顔に疲労の色を濃く刷いた理一が口角を綺麗に引き上げて佐久間を見下ろしていた。
そのまま、荷物を取り上げられて、半ば引きずられるように車まで連れてこられて。乗り馴れた助手席に腰を落ち着けたのは、理一の電話からわずかに15分。そのまま、運転席に身を滑らせた理一に、ほとんど攫われるようにこの部屋へ連れてこられた。まるで嵐のようだった。
そして、やっと人心地ついてソファに腰を降ろして理一をなじれば、相手は悪びれた風もなく言う。
「だって、佐久間くんがあんなメールくれるから」
とたんに佐久間の眉が寄った。だんだんと、顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。
「つなんないこと言ってないで、さっさと風呂行ってください!」
ここ数日、簡易シャワーで済ませてたんでしょ? そう上目遣いに睨む佐久間に、理一は軽く肩を竦めてみせた。大股に風呂場へと向けた理一の足がふと止まった。気付いた佐久間が訝しげに顔を上げるのに、ソファの背に手をついた理一が上体を屈める。軽く触れた唇に佐久間が手を振り上げるよりも早く、理一が身を起こした。
「一緒に、昼寝しようね」
そう言って笑った理一を、佐久間は左手の甲で口元を覆いながら睨みつけた。
18:22
「これだけでいいの?」
「十分です」
5号サイズのホールケーキが入った箱を見下ろした理一が言うのに、佐久間は呆れまじりに笑った。甘いものが苦手だと公言して憚らない男がケーキ消費の戦力になるとは思えない。どうせこのケーキも全部佐久間の胃袋に入ることになるのだ。5号でも大きいほどだろう。
あの後、風呂を使った理一に促されるまま、佐久間は理一と一緒にベッドへと潜り込んだ。二人とも睡眠時間が足りているとは言えない。風呂を使った理一の元々高めの体温がまるで湯たんぽのように佐久間の眠気を誘う。背中に回った腕が緩く抱き込むのに、くつりと笑って、佐久間はその胸に額をすりつけると目を閉じた。
そうして惰眠を貪った二人は食料の調達がてら買い物に出ていた。ケーキを買い、チキンを買って、オードブルのセットやサラダも適当に買い込む。
店に食べに行こうかと言った理一に首を振ったのは佐久間だった。
「クリスマスに飛び入りで食事ができる店なんて、そうそうないでしょ?」
そう言う佐久間に理一は軽く肩を竦めて頷いた。確かに、言われてみればその通りだ。そんなことすらも失念していた自分にため息しか出てこない。
そんな理一を見上げて小さく笑った佐久間は、思わず足を止めた理一の背を軽く押す。
「だから、理一さん家でクリスマスしよ」
そう言えば、理一も小さく笑う。
「二人っきりで?」
「そ、二人っきりで」
22:39
食事を済ませて、「一杯だけだよ」と苦笑されたシャンパンをちびちびと飲みながら、佐久間は理一とテレビを見ていた。佐久間はソファに腰を降ろして、理一はラグにペタリと座り込み、佐久間の膝に頭を乗せている。纏っているのは佐久間のプレゼントしたモスグリーンのカーディガンだ。いたずらっぽく笑った理一に「脱がしてみる?」と言われて、佐久間の方が顔を赤く染めたのはまた別の話だが。
理一からのプレゼントは四角い名刺サイズのカードだった。それと、そのカードを入れるための革製のカードケース。
「…これ」
思わずそのカードと理一とを交互に見る佐久間に、理一は小さく笑う。
「うん、うちの鍵」
理一の住むこのマンションの鍵は非接触型のカードキーだ。セキュリティを重視した部屋を選んだという理一の言葉通り、複製はできない。各戸に5枚ずつしか割り当てられていないと聞いている。
「…いいの? 勝手に、この部屋に入っても」
そう言った佐久間に、理一は苦く笑う。
「僕としては、一緒に住もうって、言いたいんだけどね」
佐久間は理一に言葉に弾かれたように、カードを見て俯けていた顔を上げた。
「佐久間くんが嫌じゃなければ、だけど」
何も言えずに黙り込んだ佐久間の髪を、くしゃりと混ぜて理一は笑った。
クリスマスの特番なのか、四角い画面の中で聖夜に起きた奇跡を特集していた。それをぼんやりと見ていた佐久間が、持っていたグラスをガラスのローテーブルに置いた。その時を待っていたかのように理一の手が伸びる。そっと頬に触れて来た手に、佐久間は引かれるまま下を向いた。後頭部に理一の手が回る。佐久間の膝から頭を上げた理一が座面に肘をついて、上体を起こした。引き寄せられるまま唇を重ねて、佐久間は目を閉じる。
唇を離した理一が緩く背中に手を回すのに、佐久間はきょとりと一つ瞬いた。
「理一さん?」
軽く髪に触れながら呼びかければ、ふっと息を吸う気配がする。
「…ごめんね」
理一の言葉に、佐久間の手が止まった。
「…なにが?」
もそりと上体を起こした理一は、佐久間の腹に顔を押し付けるようにして抱きついてくる。それに佐久間は居心地悪く身じろぎながら問い返した。
「…前に、君を酷く抱いた」
「…」
黙り込んだ佐久間に、理一は一旦言葉を切ると理一は軽く息を吸った。
「街で君を見かけた。隣に女性がいて、君は彼女の手を握って笑ってた」
理一の言葉に、佐久間は首を傾げた。次いで思い出す。そう言えば、健二が風邪を引いた時に、代わりに夏希と買い物に行った。いつものことだったから、何も気にせず手をつないで歩いた。それを、理一はどこかで見ていたのか。
「あれは夏希先輩で…」
「うん。夏希に会って、聞いた」
佐久間の言葉に理一が小さく笑う気配がする。
「…ホントに。ろくでもないヤツに捕まっちゃったね、佐久間くん」
佐久間は理一の言葉に眉を寄せると、無理に理一の頭を引き離した。上げられた理一の顔は酷く静かだ。佐久間は徐に手を上げると、その理一の両の頬をぴしゃりと叩く。そのまま頬をつまんでむにっと引っ張った。理一の思わぬ間抜け面に、佐久間がぷっと吹き出す。手を離した佐久間を理一は呆然と見上げた。
「御託はいいです」
晴れやかに笑って佐久間は言う。
「要は、理一さん、俺に惚れてるってことでしょ?」
一瞬目を見開いた理一は、次いで破顔した。
「惚れてるよ」
これ以上ないほど、そう続いた言葉は寄せた唇の間に消えた。
12月26日
00:27
理一の胸元に額をぎゅっと押し付けるようにして、佐久間は眠っている。その、あどけなくも見える寝顔を覗き込んで、理一は口元に笑みを刷いた。額にかかる髪をかきあげて、小さく音を立てて口付ける。それに、むずかるように小さく吐息を漏らして、佐久間は一層その身を寄せて来た。そんな佐久間の仕草に、理一は背に回した腕に力を込めて、細い身体を己の腕の中へ抱き込む。
理一は腕を伸ばしてサイドテーブルの上のライトを落とすと、佐久間の茶色い髪に頬を寄せて目を閉じた。
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