12月12日
「佐久間」
研究室に顔を出した佐久間に、健二はほっとしたような笑みを見せた。
「よぉ」
片手を上げて研究室に入って来た佐久間は、いつものように背負っていた鞄を降ろすと中央のテーブルへと置いた。上着を脱ぎ椅子にかけるとパソコンの電源を入れる。
「足、大丈夫?」
「ああ、だいぶ良くなった」
土曜日に病院行って診てもらったし、という佐久間に、健二はきょとりと一つ瞬いた。
「…大丈夫だったの? 歩けた?」
「あー、大丈夫大丈夫。車だったし」
「車?」
健二は訝しげに眉を寄せる。佐久間も自分も、車の免許は持っているが車は持っていない。レンタカーでも借りない限りは車に乗れないはずだが、まさか、病院にいくためだけにレンタカーを借りるとも思えない。
黙り込んだ健二に気付くことなく、佐久間はパソコンチェアに腰を降ろした。キーボードを引き寄せ、軽やかに指を踊らせる。
「ああ、理一さんに連れてってもらった」
さらっと佐久間の口から出た名前に、健二の目が見開かれた。
「…そう」
「うん」
健二はバイトを始めた佐久間に倣ってパソコンに向き直りながら、軽く首を傾げた。
佐久間が理一に懐いているのは知っている。今年の夏に上田の陣内家にお邪魔した時にも、理一と二人でいる佐久間をよく見かけた。あんなに年が離れていて、しかもどこか得体のしれない雰囲気の理一と、どんな話をしているのかと思ったが、そう佐久間に聞いたら「え、別に、世間話?」という簡潔な答えが返って来た。あまりにあっけらかんと返されたので、どんな世間話をしているのかと、逆に怖くなったものだ。
しばらく無言でバイトをこなしていた健二は、ふと、手を止めて横に並んだ佐久間を見た。
そういえば、何日か前に見た、佐久間の耳の後ろの赤い痣。何かにぶつけたのかと聞いた自分に、佐久間は酷く狼狽えていた。顔を洗ってくると出て行った佐久間は、戻ってから髪を縛らずに作業を続けていた。ずっと鬱陶しそうに首を振っていたのに。
そこまで考えて、健二は慌てて視線をパソコンの画面へと戻した。
佐久間が物色していた、佐久間には絶対に大きいサイズのカーディガン。落ち着いた色合いのそれは、健二の記憶にあるあの人のイメージに添う。
健二はぶんぶんと頭を振って、己の頭の中に浮かんだ考えを振り払う。
ちらりと見やった佐久間は、鞄から取り出した手帳に画面を見ながら何事かを書き込んでいる。
そういえば、この頃佐久間の持つ小物の趣味が、あの人の持ち物に似て来た気がする。確かに佐久間は持ち物に拘る方だが、せいぜい高校生に追いきれるレベルの、例えばB級臭さを笑えるようなそんな程度のものだった。それが、いつの頃からか、手帳に挟む金属製の栞だとか、万年筆だとかに、大人の拘りが見えるようになった。
「健二? どした?」
思わずじっと見つめていたらしい。健二の顔の前でぷらぷらと佐久間が手を振っている。慌ててかぶりを振った健二は、がたりと音を立てて立ち上がった。
「なんでもない! 顔、洗ってくる!!」
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