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12月10日

 理一は軽くため息をつくと、助手席にちんまりと座り上目遣いでこちらをうかがっている佐久間を見下ろした。
「…まったく。なんで昨日のうちに病院に行かなかったの?」
 そう言えば、しどろもどろに言い訳が口の端にのぼる。
「一応、校医には診てもらったんですけど、月曜になっても腫れが引かないようなら病院に行けってことだったんで…」
「そのあたりは臨機応変でしょ?」
「…はい。スミマセン…」
 土曜の午前8時47分。佐久間は理一の車に乗せられ、近所にある病院へと搬送されていた。
 さかのぼること一時間と少し前。理一は佐久間へと電話をかけた。前の晩にもかけたのだが、呼び出し音が続くばかりで回線がつながらない。随分早い時間だったが、このところバイトが忙しいという話は聞いていたから、もう寝ているのだろうとかけ直すことは諦めたのだ。明けて今朝、かけ直した電話に出た佐久間の声に、理一は首を傾げた。寝ぼけているのとは違う、少し不明瞭な声。
「佐久間くん?」
 名を呼んだ理一に、返された佐久間の声は何に対してか少し揺れていた。
『はい…』
 返事の合間に、少し息を飲むような気配がする。
「…どうかした?」
『え、いや、特になにも…』
 佐久間の声を聞きながら、理一は風邪を否定した。佐久間は風邪をひくとすぐに喉にくる。いつも熱が出るよりも先に声が擦れるからすぐに分かる。
『理一さん、どうしたん、ですか?』
 不自然に切れる言葉に、理一はふむ、と顎を撫でた。
 風邪ではない、しかし、何かしら耐えている気配はする。ということは、怪我か。そう思って耳をすませてみれば、電話越しの声は揺れてはいるが音量に変化はない。ということは、腕の怪我ではない。そういえば、いつもならば聞こえるパソコンチェアの軋みが聞こえない。ということは、ベッドから移動せずに電話に出ているということで、逆に言えば移動できない状態であるということだ。
「…佐久間くん、足、どうしたの?」
『…っ!』
 理一の言葉に、電話の向こうで佐久間の言葉が詰まった。ビンゴだ、と思いながら、理一は一つ息をつく。
「佐久間くん、着替えて、保険証用意しなさい」
『…え、あの、』
「そうだな、30分後。マンションの玄関前まで降りてこられる?」
『ちょ、りいちさ…』
「居なかったら部屋まで行くから。いいね?」
『…はい』
 きっかり30分後、理一はマンション入り口に佇む佐久間を回収すると病院へと強制連行した。

 診察を終えた佐久間は待合室の長椅子に腰を降ろしてぼんやりとテレビを眺めていた。
「捻挫と、何カ所か打ち身があるね〜。とりあえず、冷やして。足に負担がかからないようにしてね」
 恰幅の良い先生がにこやかに言うのに、佐久間は素直に頷いた。湿布薬と、あまりに痛みが酷いようなら飲むようにと痛み止めを処方された。その薬は今、理一が窓口に取りに行っている。会計を済ませたのも理一だ。名前を呼ばれた佐久間が長椅子から立ち上がろうとするたび、目線だけでそれを押し留めてさかさかと歩いて行く理一の背中を、佐久間は少しくすぐったいような気分で見送っていた。
「捻挫でよかったわね」
 湿布と痛み止めの用法を説明されているらしい理一を遠目に見ていた佐久間に、診察に立ち会っていた看護士が声をかけてきた。
「はい」
 目線を上げて笑みを浮かべた佐久間に、看護士がいたずらっぽく笑う。
「それにしても、随分過保護なお父さんね。診察室にまで付き添おうとする人、そうはいないわよ?」
 言われた言葉に一瞬きょとりと瞬いた佐久間は、その意味を理解して思わず引きつった笑みを浮かべた。それに気付いた風もない看護士は朗らかに笑うと「お大事にね」と手を上げて診察室へと戻って行った。
 それに、条件反射に近い状態で手を振り返しながら、佐久間は理一がここにいなくて良かったと心底思った。






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