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12月5日

 佐久間は研究室に置かれたパソコンの前で、くぁっと大きく口を開けてあくびをした。久遠寺高校物理部OBが根城にしている研究室は、まるで高校の頃の部室をそのまま移動したかのような設えだ。並べられたタワー型のマシンと、雑然と積み上げられたパソコン関連の雑誌はあの部室を彷彿とさせる。違うのは、続き間になった隣の部屋に複数の寝袋が転がっていることくらいだろうか。
 佐久間はそのうちの一つ、窓際に置かれたマシンに陣取ってOZのバイトに勤しんでいた。隣には健二がちんまりと座って同じようにバイトに勤しんでいる。場所を移したところで、やる事はかわらないんだなぁ、と妙な感慨をもって佐久間は猫背気味の親友の背中を見つめた。
「佐久間? どうかした?」
 佐久間の視線に気付いたらしい健二が、ことりと首を傾げて聞いてくるのに、佐久間は小さく笑うと傍らに置いたペットボトルを手に取った。
「なんか、高校の頃と変わんねぇなぁと思ってさぁ」
「あはは、そうだねぇ」
 佐久間の言葉に、苦笑いに近い笑みを浮かべた。
「環境が変わっても、やっぱり居心地のいい場所って、自然と見つけちゃうもんなのかなぁ」
「違いない」
 そう続けた健二に、佐久間も笑って頷く。
 その時、ぽこんと軽い音がして『さぼんな、バイト』という吹き出しが画面に浮かんだ。佐久間は軽く肩を竦めると仕事に集中すべく画面へと向き直る。表示したソースコードの画面を覗き込んだ佐久間は、するりと頬を撫でた髪の毛に軽く顔を顰めた。
 このところ、忙しさを言い訳に伸ばし放題にしていた髪は、うなじを覆い肩先に触れるまでになっていた。普段は気にならないのだが、やはり集中して作業をしようとすると邪魔になる長さになっていたようだ。
 佐久間はため息を一つつくと、何日か前に調達した髪用のゴムを引っ張りだした。手首に一度通し、後ろ髪を軽く寄せ集めるとそれで縛って行く。二度程髪にゴムを通して、ぱちんと軽く音をたてて縛り上げると、佐久間は満足げに息を一つついて、再度画面へと向き直った。これで俯いてキーボードを打っても髪が気になることはない。
 調子良くキーボードを打ち始めた佐久間の隣で、一段落ついたらしい健二がキーボードから指を離し、丸めていたために固まった背中をぐっと伸ばした。ふと、佐久間の方を向いた健二の目が、一つきょとりと瞬く。
「佐久間」
「んー? なんだ?」
「首んとこ、なんかぶつけた?」
「…は?」
 健二の言葉に、佐久間は思わず手を止めて健二を振り向いた。そんな佐久間に、健二はついと指を伸ばすと、耳のうしろ、髪の生え際に近い場所をちょんとつつく。
「ここ、赤くなってるよ?」
「…!」
 健二の指が指した位置にある赤い痕。それが何かに思い至った佐久間は、がばっと身体を起こすと、左の手でその場所を覆うようにして触れた。
「佐久間?」
 訝しげな健二の声に、佐久間は押さえた左手をそのままに、ぶんぶんと大きく首をふる。
「なんでもない…!」
 佐久間は髪を縛ったゴムをほどきながら立ち上がると、泳ぐように出入り口へと向かう。
「佐久間?」
「ちょ、ちょっと、俺、顔、洗ってくるわ」
 訝しげな健二の呼びかけを無視して廊下に出た佐久間は、後ろ手にドアを閉めると大きく息をついた。すっかり赤くなっているのだろう頬に、左の手の甲をあてる。普段は髪で隠れる場所だからと、わざと赤い痕を残したのだろう年上の恋人に、佐久間は心の中で悪態をついた。






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