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1月2日

 来た時と同じように理一の車の助手席に落ち着いた佐久間は、車の横に並んだ人に挨拶をするべくパワーウィンドのボタンを押した。
「お世話になりました」
「また春のお彼岸にでも来なさいよ。今度はゆっくりね」
 そう言って見送ってくれた万里子や理香といった親族ご一同様に、佐久間は苦笑いに近い笑みを浮かべながら会釈をして。緩やかに滑るように走り出した車は、あっという間に屋敷から遠ざかる。振り返り、小さくなっていく屋敷を見送った佐久間は、進行方向へ向き直ると一つため息をついた。
「疲れた?」
 笑い含みにそう言われて、軽く肩を竦める。
「疲れてはいませんけど…」
「けど?」
「誰かさんが寝坊してくれたお陰で心臓止まりかけただけで」
「あはははは」
「笑い事じゃないですよ!」
 ハンドルを握ったまま明るく笑う理一を、佐久間は口を尖らせて睨み上げた。
 笑い事ではない。実際、慌てるあまり枕元に置いておいた眼鏡に手をついてしまって、あやうく昇天させるところだったのだ。理香が引き戸をノックして声をかけただけで引き下がってくれたから良かったようなものの、戸を開けられていたら色々と言い訳のできない状態だったことは理一も解っているはずなのに。
 なんだよこの余裕っぷり、と睨む佐久間に、信号待ちで車を止めた理一は指の先でハンドルを軽く叩いた。
「大丈夫なのに。姉ちゃん、俺の部屋は絶対あけないから」
「…はい?」
 思い切り疑問の声を漏らした佐久間を振り返って、理一は小さく笑う。
「部屋の左側、襖だったの覚えてる?」
「ああ、はい」
「昔はね、あの襖、開けっ放しで、隣の姉ちゃんの部屋と続き間だったんだ」
「…え」
「でもねぇ、でかくなるに従って、色々と問題が出てくるじゃない」
「…はぁ」
「とくにうち、年子だったし」
「…。」
「姉ちゃんが中学入った頃かなぁ。『襖閉めて部屋区切る! あたしの部屋覗いたら殺す!』って言い出してさぁ」
「…殺す、って…」
 信号が青にかわる。呆然とした佐久間の言葉に薄く笑いながら、理一は車を発進させた。
「俺は別に気にしてなかったんだけど、売り言葉に買い言葉でね。『だったら俺の部屋も覗くな』って言い返してね」
 それ以来、お互い律儀に互いの部屋は開けないのだという理一に佐久間は絶句する。
「…それ、もっと早く言ってくださいよ」
 がっくりと項垂れながらかろうじて絞り出せば、理一は白々しく首を傾げてみせた。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてません!」
 そーだっけ? といいながらハンドルを切る理一を睨み上げた佐久間は、高速の入口とは逆方向に曲がったことに気付いてふっと眉を寄せた。
「…高速、使わないんですか? 入口、あっちですよね」
 窓の外に視線を向けていう佐久間に、理一は小さく笑う。
「佐久間くん、ご実家には4日に帰るんだよね?」
「あ、はい。母にはそう言ってありますけど…」
 問われてそう答えれば、理一は何事かに一つ頷く。次いで悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、ちょっと寄り道してかない?」
「寄り道?」

 他に店も民家もなく、そこはまさに絵に描いたような峠の一軒宿だった。

「着いたよ」
 車止めに車を停めた理一が言うのに、佐久間はぽかんと口を開けて扁額の掲げられた門を見上げた。笹が茂る門扉の横には、峠の茶屋のような風情の椅子が置かれ、そこにさしかけられた野点傘の赤が鮮やかだ。
 作務衣を着た女性が軽く会釈をしながら車の横へと控える。ドアを開け荷物を手にした理一からそれを受け取りながらにこやかに笑った。
「ようこそ、おいでくださいました」
 女性に続いて歩み寄って来たスーツに法被姿の男性が理一から車のキーを受け取り、奥に作られているらしい駐車場へと車を移動させる。
 それを見るともなしに見ながら促されるままに歩けば、石引の三和土の先に磨き上げられた広いロビーが見えた。庭の見える窓際のソファへと案内され腰を降ろした佐久間の向かいに、宿泊カードへの記入を済ませた理一が座る。それぞれの前にお抹茶と茶菓子を置いた女性がにこりと笑って辞して行くのを見送って、佐久間はほっと小さく息を吐いた。
「ここが寄り道ですか?」
 国道の地名表記は見覚えのないものばかりだった。峠の山道をひた走り、渓流沿いに見えた甍の波がここだった。
「のんびりしようかなって思ってね」
 実家ではのんびりできなかったのかと、内心で突っ込みを入れた佐久間の胸の内を覗いたかのように、向かいで茶碗を手に取った理一が薄く笑う。
「なんだかんだで使われるからね、あそこにいると」
 のんびりとは無縁だよね、と笑う理一に、佐久間は無言で茶碗を傾けた。
 そうして待つことしばし。茶菓子まで平らげた二人の傍に、先ほど荷物を運んでくれた女性が歩み寄って来た。
「お部屋にご案内します」
 にこやかにそう言うのに、二人揃って立ち上がる。促されてロビーを横切った佐久間の目に、天井近くまで組み上げられた本棚が映った。思わず足を止めて覗き込んだ佐久間は小さく声を漏らす。
 まるで小さな図書室のような設えの、変わった形の部屋だった。小さなベンチと一体化した本棚が五つ、六角形の壁に沿って並んでいる。棚には絵本から背の焼けた文学書までが、それなりの規則性でもって並べられているようだった。
「佐久間くん?」
 佐久間が立ち止まったことに気付いたらしい理一が訝しげに名を呼ぶ。それに気付いて慌てて歩み寄ればくつりと笑われた。
「面白いでしょ?」
「あれ、図書室なんですか?」
 そういえば、先に立っていた女性がにこりと笑った。
「先代が大の本好きで、集めた蔵書です。お時間があればどうぞ。ご自由にお読みいただけますので」
 どうぞ、と再度促され、佐久間は理一に続いて歩き出した。
 ロビーのある建物から石引の廊下に出る。庭に沿って続く廊下は幾つかに枝分かれして、それぞれに離れへと続いていた。そのうちの一つを辿って案内されたのは平屋の建物だった。入母屋造の屋根が優雅な曲線を描いている。
 からりと格子戸を開けて入った女性に促されるまま、玄関を上がり、長い廊下を歩いて突き当たりの襖を開ける。その先には、白く雪化粧を施した山水の庭が広がっていた。
「ふわぁ…」
 思わず歓声をあげて窓へと歩み寄った佐久間の後ろで、軽い音をたてて襖が閉まる。気付いて振り返れば、案内の女性に心付けを渡した理一が、部屋の真ん中に置かれた座椅子に腰を降ろしたところだった。
「気に入った?」
 笑い含みに言われて、佐久間の頬に薄く朱が走る。返事を返さずに歩み寄って、理一の向かいの座椅子へと腰を降ろした。すぐ側に置かれた湯のみや急須の乗った盆を引き寄せ、無言で茶を煎れる。
「…で?」
「うん?」
 注いだ湯のみを差し出しながら言うのに、理一はことりと首を傾げた。
「ここ、どこですか?」
 佐久間の差し出した湯のみを受け取り、一口啜る。同じように湯のみを傾けた佐久間が上目遣いに見上げてくるのに、理一は軽く口角を上げて小さく笑った。
「温泉」
「それは見れば解ります」
 場所聞いてんですよ、と睨み上げてくるのに軽く肩を竦めて見せる。
「いいでしょ、どこでも。ゆっくりできれば」
「…そうきますか」
 げんなりと溜め息をついた佐久間に、理一はもう一度小さく笑うと湯のみを置く。
「佐久間くんはここが気に入った。僕は佐久間くんと温泉に来たかった。後は楽しんで帰るだけ。でしょ?」
 ついと伸ばされた理一の手が顎先から頬をなぞって、佐久間の顔に走った朱が濃くなる。
「……。」
 無言で睨み上げる佐久間の頭をぽんぽんと叩いて、理一はいっそ晴れやか笑った。
「というわけで。佐久間くん、一緒にお風呂入ろう」
「なに、さらっと言ってんですか! このエロおやじが!」






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