1月1日
佐久間と理一は炬燵に入って籠に盛られたみかんに手を伸ばした。佐久間の向かいでは折り曲げた座布団を枕に太助が鼾をかいている。そして、理一の向かいでは侘助が、やはり折り曲げた座布団をうつ伏せの胸の下に引き込み、広げたちらしの上でみかんを剥いていた。先ほどまで畳の上にみかんの皮をそのまま置いて食べていたのだが、眦を釣り上げた理香に怒鳴られてぶつぶつと文句を言いながらちらしを敷いたのだ。
佐久間は手にとったみかんの皮を向きながら、壁にかけられた時計を見上げた。かちこちと振り子を揺らしながら時を刻むその時計の、短い針は既に1を通り越している。点けっぱなしのテレビからは、司会者の話術に合わせてさざ波のような穏やかな笑い声が断続的に聞こえていた。それを見るともなしに見ながら、佐久間は剥いたみかんの小房を口に運ぶ。
夕餉の席は途中から宴会になった。それでも、日付が変わる前に配られた年越し蕎麦を食べ、揃って新年を迎えた時には、万里子を筆頭にきちんと正座して新年の挨拶を交わした。それまで「無礼講だ」と酒瓶を振り上げていたような万作や万助までもが、きちんと正座して新年の挨拶を交わすのに佐久間は少々面食らったのだが、隣に座っていた夏希も握りしめていた日本酒入りのコップをテーブルに置いて深々と頭を下げていたので、慌ててそれに倣う。
顔を上げた万里子が「さて」と手を打つと、それを合図に宴会はお開きになった。見る間に、潮が引くように綺麗に片付けがなされて行く。佐久間も理香や万里子に言われるまま、台所と大広間を食器類を持って行き来した。奈々や典子、由美と言った嫁達が洗い物をしていくのに使用済みの取り皿や鉢を渡し、万里子に手渡された大皿に夏希と一緒に残り物を寄せる。次いで渡された布巾を手に大広間に戻ると、男衆と一緒に酒瓶を片付けていた直美と一緒にテーブルを拭き上げた。拭き上げるそばから男衆がテーブルを運び出していって、大広間はあっという間にがらんとした空間に変わって行く。
「ご苦労様。疲れたでしょ、こき使われて」
「いえいえ」
同じように布巾を手にぺたりと正座した直美が言うのに、佐久間はへらりと笑う。「よいしょ」とかけ声をかけて立ち上がった直美は、佐久間の手から布巾を取り上げるとその肩をぽんと叩く。
「あ、いいですよ。俺、片付けますから」
「あー、いいのいいの。ついでに残り物あさって呑み直すから」
あっけらかんと言い放って歩み去って行く直美を見送って、佐久間は一つ息を吐いた。どやどやと戻って来た男衆が、直美と同じように佐久間の労をねぎらいながら三々五々散って行くのを見送った佐久間は、太助や侘助とともに戻って来た理一を見つけて思わずほっとして笑みを浮かべた。
「ご苦労様〜」
そう言いながら歩み寄って来た太助が、居間の炬燵でテレビを見ようと言うのに理一と一緒について行く。さっさと自室に引き上げるかと思われた侘助までがついて来たことに少々驚いたが、そう言う気分なのだろうとスルーした。
最初こそ四人でテレビを見ながら雑談をしていたが、やがて太助が脱落し、侘助もまたもともとそう積極的に加わってはいなかった雑談の輪から離れ、みかんに手を伸ばして炬燵に潜り込んでいる。動く気配もないから、おそらく寝てしまってるだろうと。
「この番組、いつもこんなだよね」
隣でみかんを口に放り込んだ理一が言うのに、佐久間はテレビへと目を向けた。有名なシンガーソングライターが、何故かテレビを使ってラジオの公開生放送をしている。初めて見る佐久間はことりと首を傾げた。
「そうなんですか?」
「うん、去年もこんな感じで、あり得ないくらいまったりしてた」
のほほんとそう言う理一を見上げて、佐久間は小さく笑った。
去年は健二や物理部のOB達とカラオケBOXで年越しをした。翌朝帰宅した時に母には渋い顔をされたが、それだけだ。実家がどんな年越しをしたかだとか、どんな番組を見ていたかなど、そんな話はしなかった。
「ちょっとー。理一いる?」
すらりと障子を開けて顔を出した理香に、佐久間と理一は揃って振り返った。
「なに? 姉ちゃん」
「あんた、いつ帰るの?」
理香の言葉に理一は、ああ、と頷いた。
「明日」
「何時?」
「昼前には出るよ」
「了解」
「佐久間くんも」
姉弟のやりとりと聞くともなしに聞いていた佐久間は、理一の口から出た自分の名前に一瞬びくりと肩を揺らす。次いで、理一から帰京のスケジュールを聞いていなかったことを思い出し、明日と脳内にインプットする。
「何で?」
「何が?」
理一の言葉に眉を寄せた理香に、理一は首を傾げた。
「あんたはともかく、佐久間くんも明日ってどういうことよ?」
「…一緒に来たんだから、一緒に帰るよね、普通」
理香の言葉に苦く笑った理一が言うのに、理香は盛大にため息をついた。
「せっかく来たんだからもっとゆっくりしてけばいいのに。あんたはともかく」
「姉ちゃん…」
ねぇ、という理香の言葉に苦笑して、佐久間はみかんの皮を小さくまとめた。
「すみません、俺も実家に呼び出されてるんで、失礼します」
そう言えば、仕方がないと言いたげに理香がため息をついた。
「そう。じゃあ、明日なのね?」
「うん」
そう念を押して障子を閉めた理香に、理一が苦笑する。
「なんかそのうち『佐久間くんだけくればいい』とか言われそうだよね」
理香の閉めた障子から視線を戻しながら理一が言うのに、佐久間は軽く眉を寄せた。
「俺だって、社交辞令って言葉くらい知ってますよ」
「この家の辞書に『社交辞令』なんて言葉はねぇよ」
寝ていると思っていた侘助の声が割って入って、佐久間はぎょっとする。
「起きてたのか」
舌打ちしそうな勢いの理一の言葉に、起き上がった侘助が薄く笑う。
「俺、太助みたいに空気読めないからさぁ」
わりぃな、と笑った侘助に、理一は本当に一つ舌打ちをした。そんな二人のやり取りに佐久間はきょとりと首を傾げる。起き上がった侘助はたたんで枕にしていた座布団を敷くと、にやりと笑って視線を佐久間に向けた。
「理香も直美も、いいおもちゃ見つけたってツラしてたもんなぁ」
「…おもちゃ」
侘助の言葉に理一は渋い顔をして眉を寄せる。佐久間もまた、苦笑いしながらまとめたみかんの皮を手近にあったビニール袋へと詰めた。理一の分も同じように袋に入れると、ゴミ箱の隣に寄せて置いた佐久間に、侘助が目を細めて小さく笑った。
「ホント、健二といい、この家の人間が好きそうだよなぁ、こういうの」
言いながら腕を伸ばして佐久間の頭をかきまぜようとした侘助の手を、理一が無言でたたき落とした。
「ってぇな」
「さわるな」
一言づつ区切るように言う理一を睨みつけた侘助が、ふっと口元を歪めて笑う。
「一番質が悪いのはここにいたか」
言いしな立ち上がり、侘助は大股に部屋を出て行く。それを目で追っていた佐久間は、障子を閉める間際、振り返った侘助が悪戯っぽく笑って言った言葉に固まった。
「まぁ、せいぜい頑張れよ、嫁」
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