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小さな芽

 ヘッドホン越しに複数の話し声がする。たん、とエンターキーを押してメールを送信した佳主馬は、再生していた音楽をとめるとヘッドホンを外した。
 傍らに置いていたグラスに手を伸ばしてため息をつく。無意識に飲んでいたのか。グラスの中身は空になっていた。外したヘッドホンをノートパソコンの隣に置くと、グラスを片手に立ち上がる。台所で麦茶の補充するべく、納戸の引き戸を開けた。
 遠く近く、蝉の鳴き声が響く。防風林を兼ねた屋敷の後ろに広がる森は彼らのテリトリーだ。短い夏を謳歌する彼らの声は、この休みの間中続くのだろう。
 そう、去年も彼らの声は常に響いていた。
 初めての敗北を経験した時にも、曾祖母が息を引き取ったあの朝にも、そして、あの人の苛烈な瞳に心臓が大きな音を立てたあの瞬間にも。
 

「受験生なのに来てくれてありがとうね」
「いえっ! 呼んでもらえて嬉しかったです」
 栄への焼香を済ませて仏間から表座敷へと戻りながら、夏希が小さく笑いながらそういった。健二は慌てて首を振る。
「今年は受験もあるし、来てもらえないかと思ってたんだ」
 無理いってごめんね、と笑う夏希に、健二も小さく笑みを返す。
「家族になろうって言った時、健二くん、頷いてくれたけど、でも、本当にずっと『家族』でいられるのか、ちょっと不安だったんだ」
「夏希先輩…」
「だから良かった。健二くんが来てくれて」
 そういって明るく笑った夏希に、健二がまぶしそうに目を細めた。
「僕も良かったです。またここに来る事ができて」
 しみじみと呟いた健二に、夏希は小さく吹き出した。
 健二は夏希に案内されて、昨年泊まった部屋へと向かう。廊下の角をまがったところで、コップを片手に納戸から出てきた佳主馬にばったりあった健二は、にこりと笑顔を見せた。
「佳主馬くん!」
「健二さん、着いたんだね」
「うん、三日だけだけど。またお世話になります」
 ぺこりと頭を下げた健二に、佳主馬が口元を緩めて「こちらこそ」と返している。その光景を、少し離れたところで微笑ましげに見ていた夏希は、佳主馬がちらりと自分を見たことに首を傾げた。その目の色に含むものを、どこかで見たことがあるような気がしたのだ。だが、夏希がそれを確かな形で掴む前に、佳主馬は「麦茶とりにいくから、荷物置いたら納戸に来なよ」と言い残して行ってしまった。

 夜には親族一同揃っての宴会になだれ込んだ。昨年のあの出来事以来、すっかり健二を『身内』扱いしている面々は、久しぶりに顔を見せた健二を何彼となくかまい倒した。健二がことさらに嬉しそうに接するものだから、万助などは隣に陣取って肩を組んだまま酒の入ったコップを振り上げている。
 その光景を遠目で見ながら、夏希は目を細めた。
 春の彼岸に親族一同に告げた健二との別れは、万里子が言った通り、「婿ではなくてもいいではないか」という認識で落ち着いていた。今も、二人がそれぞれ少し離れた席についていても、誰も「隣に座れ」などと冷やかすことはない。万作は「新しい彼女とかできたの?」と聞いて、典子の容赦のない肘鉄を食らっていたが、それも、健二が慌てて否定する様が面白いから言っているだけだと、一同は理解している。
──あれ…?
 夏希は茄子の煮浸しを口に運びながら、ふと、万助の逆側、健二の右隣に佳主馬が座っていることに気付いた。万助があれもこれもと健二の取り皿に投げ込もうとする料理を、適度にガードしている。
 珍しい、と素直に思った。毎年この家に来る佳主馬だが、こうして親族一同が揃った夕餉の席に顔を出すことはあまりない。大概は聖美が頃合いを見て、一人納戸でパソコンに向かっている息子へと夕餉を運ぶのだ。
 そういえば。去年、あの事件があった時も、健二がOZの管理棟のセキュリティを解いた夜から、夕餉の席に顔を出すようになった。そして、健二が帰ったとたんに、また納戸で夕餉をとるようになったのだ。
──んー?
 その時、ふいに夏希の脳裏に、昼間自分を見た佳主馬の目がよみがえった。あの目の色、あれを自分は確かにどこかで見たように思うのだ。ただ、それがどこだったのかが思い出せない。
 夏希は何かが胸につかえたような、釈然としないものを抱えた状態で夕餉を終えた。

 夏希は縁側にずらりと並んだ朝顔へと水をやりながら、ふと視線を横へと向けた。視線の先では、健二と佳主馬が自分と同じように、井戸からバケツに汲んできた水を如雨露へと入れ水やりをしている。
「…。」
 朝の光をはじく朝顔の花を見ながら、夏希は小さく首を傾げた。
──なんか、気付くと健二くんと佳主馬が一緒にいるんだけど…。
 夕べも、夕餉が終わった後、健二に裏山の蛍の話をしようと部屋に行ったらいなかった。まだこの建物に不慣れな健二が行きそうな場所はどこかと考えた夏希の脳裏に思い浮かんだのは、ほとんど『佳主馬の部屋』になっている納戸で。そして、足を運んでみれば、案の定、二人でパソコンの小さな画面を覗き込み笑い合っていたのだ。
──気のせい? なのかしら?
 納戸の入り口に立っている夏希に気付いたらしい佳主馬が振り返ったのだが、その時に見せた目もあの色だった。どこか、熱をはらんだような、鋭い…。
「夏希? 水、なくなってるわよ?」
 如雨露の水を撒き終えたことに気付かず腕を降り続けていた夏希に、幼子を抱いた聖美が声をかけた。
「…あ!」
 聖美の声で思考の海から浮上した夏希は、バツの悪い笑みを浮かべながら振り回していた腕を止める。
「どうかしたの?」
「…んー。どう、というわけでは、ないんだけど…」
 バケツに突っ込まれた柄杓を取り上げながら、夏希は眉間に皺を寄せる。
「あの色がねー。どこかで見た覚えが…」
「色?」
「んー。佳主馬があたしを見る時の目の色」
「…。」
 聖美は無言で夏希を見つめた。その目が驚きに見開かれたいたのだが、また思考の海に沈み始めた夏希は気付かない。
「なーんか、どっかで見た覚えのある色なんだけど、思い出せないのよねー」
「…そう」
「んー。なんかもやもやする」
 その時、聖美の腕の中でおとなしく寝ていた子供が目を覚ました。聖美はぐずり始めた幼子を抱えて廊下を奥へと歩いて行く。
「…まぁ、何かが芽生えちゃったってことなんだけどね」
 聖美の小さなつぶやきは、夏希の耳には届かなかった。


 佳主馬は健二と並んで朝顔に水をやりながら、物思いに沈んでいる風の夏希に目を向けた。
 まだどこかで、健二と夏希の関係の変化への疑いが消えない。こうして並んで笑い合っていても、隣に立つ人の心の中までを見ることはでいないから、焦燥だけがつのって行く。
「…負けない」
「え? 佳主馬くん、何か言った?」
「何も言ってないよ」
「そう?」
 大きな如雨露を慎重に傾ける健二に、佳主馬は小さく笑みを返す。
──絶対、渡さない
 佳主馬のつぶやきは目の前で揺れる朝顔達だけが聞いていた。






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