誕生日会
一年前の今日、あの人は人生の幕を下ろした。
そして、あの人がこの世に生を受けて、明日でちょうど91年目。
──命日と言ってしめやかに過ごすのは、母さんには似合わないかもしれないわねぇ。
そう言ったのは、彼女の跡を継いだ現当主で。
だからこの日は、親戚一同が会しての『誕生日会』の日なのだ。
遠く、近く、無数の蝉の鳴き声が木々の間から降り注ぐ。
健二は両手に大きな紙袋を三つ程ぶら下げて、昨年も歩いた門への坂道を歩いていた。今年は隣に夏希の姿はない。彼女はもう一週間程前にここに来ているはずだ。
「補講があるのは分ってるんだけど、2、3日、なんとかならないかな?」
そうメールが届いたのは夏休みに入る前のこと。
今年は受験生でもあることだし、夏希との関係の変化もあって、上田にお邪魔するのは遠慮しておこうと思っていただけに、健二はそのメールに不覚にも涙がこぼれ落ちてしまった。隣で見ていた親友には盛大にからかわれたが、それでも『なんとかしてみます』と返信してしまうあたり、実はあの家に行きたいと思っていたのは自分の方なのだと自覚せざるを得なくて。
あわてて夏休みの補講スケジュールを確認し、栄の命日を挟んだ三日間が理数系の授業だけだった事に、心底ほっとしたのだ。
そして、補講を休むことで出された課題を前日ぎりぎりまでかけてクリアして、こうして上田へとやってきたのだ。
一年ぶりに見上げる陣内家の旅館と見まごう玄関は、相変わらず大きく開かれている。
「ごめんください〜」
そう玄関先で声をかければ、あらかじめメールで到着時間を知らせていた夏希が迎えに出てきてくれた。
「わー、いらっしゃい、健二くん! 暑かったでしょ? 上がって上がって!」
「はい、お邪魔します」
きちんと靴をそろえて脱いで上り框に足を乗せた健二に、夏希の声を聞きつけたらしい子供達やその母親達がぞろぞろと出てくる。
「健二くん、久しぶりねー!」
「相変わらず細っこいわね、ちゃんとご飯食べてるの?」
「凄い荷物ですねー、健二くん」
「ユカイハンだー、遊べー!」
「遊べー!」
「健二にぃ、遊ぼー」
わらわらと群がる子供達に苦笑しつつ、健二は「これ、お土産です」と紙袋を夏希に手渡す。
「え、そんな気ぃ使わなくてよかったのにぃ」
続いて、わざわざ出てきてくれた親類と挨拶を交わしていると、奥から万里子も出てきた。
「健二くん、久しぶりね。ちゃんとご飯食べてる?」
「お久しぶりです。また、お世話になります」
健二は、万里子の言葉にふわりと笑みを浮かべると、深く頭を下げた。
去年と同じように、表座敷をぐるりと囲む廊下を万里子と夏希に先導されて歩く。去年と同じように縁側に並んだ朝顔の鉢は、今年は万里子や理香が丹精したものなのだろう。所々新しくなっている柱に、去年の名残が残っている縁側を抜けて、仏間へと通された。
「母さん。健二くんが来てくれたわよ」
そう声をかけて仏間の蝋燭へ火を灯した万里子が、健二に座を譲る。蝋燭で線香に火を着けた健二は、それを立てると静かに手を合わせた。
「…お久しぶりです」
仏壇に飾られた遺影の中で、栄が穏やかに微笑んでいる。合わせていた手を解くと、健二は栄の遺影に向かって、深く頭を垂れた。
「栄おばあさん、ごめんなさい。僕は。約束を、守れませんでした」
後ろに控えていた夏希が息を飲む気配がする。
「健二くん、それは違う!」
夏希の声に、健二は垂れていた頭を上げた。焦る夏希とは対照的に、万里子は静かな目で健二を見ている。その目に、健二は万里子が二人の関係の変化を既に知っているのだと知る。
「でも、栄おばあさんには、ちゃんと報告しないといけないと思って…」
「健二くん…」
今年ここへ来たら、まずこれだけは言わなければと健二は思っていた。あの日、「夏希を頼む」と言った栄の言葉は、健二の中で何よりも大事な『約束』だったから。
ふっと、万里子が苦笑して、蝋燭の火を消した。
「夏希から聞いたわ、二人のこと」
健二に向き直った万里子は穏やかな笑みを浮かべている。その笑みは、どこかあの日の栄に似ていて、目の前の女性が確かに栄の血を引く人なのだと、健二は思った。
「確かに、残念ではあるけどね」
小さく笑った万里子は、健二と、その隣ににじり寄った夏希を交互に見る。
「気にすることないわよ。二人ともまだ若いんだし」
そう言った万里子は、うつむく健二の肩をあやすようにたたく。
「それにね。夏希のお婿さんじゃなくても、健二くんがうちの家族であることに代わりはないから」
万里子の言葉に大きく頷いた夏希が、あの時と同じ強さで背中をたたく。
『ありがとうございます』と言った言葉は、涙にまみれて揺れてしまったけれど、たぶん、二人の耳にちゃんと届いてくれただろうと健二は思った。
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