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進む路

 進路希望の用紙に『進学希望 国公立・理系』と書き込んだのは去年のこと。まだ残暑が厳しい時期だった。
 ただ漠然と「数学に関係した仕事をしたい」と。できれば研究職に、と思っていたけれど。あの夏の日を境に、それは現実味を帯びた「目標」に変わった。



 久遠寺では三年になると希望する大学や学部によってクラスが分けられる。国公立を希望する生徒は『特進クラス』に割り振られ、さらに『理系特進』と『文系特進』に分けられた。もちろん、国公立を希望しているからといって、私立が受けられないというわけではない。ただ、国公立を希望する学生にはセンター対策として強化科目が追加されるのだ。
 健二は「いずれ研究職に」と考えた段階で院に進むことを視野に入れた。院に進むとなると、当然のことながら学費がその分余計にかかるわけで。経済的な負担も考えると国公立が最善だ。
 健二と同じく国公立の理系を希望した佐久間も理系特進クラスに割り振られたため、二人は『同じクラスで前後の席』という、入学以来代わり映えのしない新学期を迎えていた。
 そんな健二と佐久間は、人もまばらな放課後の教室でシャープペンを片手に頭を悩ませていた。
「佐久間はどこ受けるつもり?」
「んー、一応このあたりかなー、と」
「…やっぱりなぁ」
「お前もだろ?」
「うん。国内ではここが一番いいかなって」
 手のひらサイズの四角い紙を前に、二人で頭を突き合わせながら進学を希望する大学名を書いていく。記入欄は三つ。つまり、第三希望まで書かなければならない。
 一つ目はあっけなく埋まったのだが、二つ目を絞り出したところでシャープペンを持った手が止まった。
「佐久間は三つ目どうする?」
「んー、とりあえず最高学府でも書いとこうかと」
「そうかー。僕もそこでいいかなぁ」
「東京以外ではないのか?」
 三つ目の欄に侘助の出身校でもある最高学府を書き込んだ佐久間がペンを置いた。
「京都にも気になる教授はいるんだけどさ」
「じゃ、そこ書いとけば?」
「…知り合いすら全然いない土地でやってける自信がありません」
「…納得」
 お前の場合ストレスで速攻胃がやられそうだよな、と真顔で返してきた親友に、健二は苦く笑う。
「あとは名古屋にもあることはあるんだけど…」
「名古屋って、キングの地元じゃん」
「んー、ただ、ちょっとこう…」
「なんだよ、煮え切らないな」
「やっぱり東京を離れるとなると色々とさ…」
「まぁな。でも他に希望するとこないんだろ?」
「一応あることはあるけど…」
「とりあえず、名古屋でもいいんじゃね? 書いとけば。本当に受けるかどうかは別だろ?」
 あくまでも『希望』なんだし? と笑う佐久間に、健二も小さく笑う。
「…そうだね。そうする」
 健二は三つ目の欄に学校名を書き込むとシャープペンを置いた。
「はー。なんか疲れた」
「だなー。たかだか学校名記入するだけなのにな〜」
 机に突っ伏した健二に、佐久間が軽く笑いながら同意する。
「んじゃ、さっさと提出して部室にいくか」
「そうだね」
 立ち上がった佐久間に倣い、筆記用具を手早く片付けて鞄に放り込むと健二も立ち上がった。

 進路希望の用紙を提出してから部室に直行し、いつものように佐久間と二人でOZの保守点検のバイトをこなしていると、健二の使っているパソコンがフレンドリストに登録されたアカウントのログインを知らせた。続いて軽い電子音とともに、サブで開いていたウィンドウに吹き出しが一つ浮かぶ。
「あ」
「どうした?」
「佳主馬くんだ。チャットのお誘いかな?」
 健二はデスクトップに表示させた時計に目をやる。
「ああ、やっぱり」
「キングから?」
「うん、いつもだったらこの時間には家にいるから」
 今日は月に二回は最低行うと決めているパソコンの保守点検日だった。三台あるパソコンすべてのエラーチェックとデフラグ、システムチェック、ついでとばかりにレジストリのバックアップまで行っていたためにバイトの時間が押してしまったのだ。
「お前ら、そんな定期的にチャットしてんの?」
「んー? 週に三回? くらい?」
「…結構な頻度だな」
「これでも去年より減ったんだよ? 佳主馬くんが『健二さんは受験生なんだから』って気使ってくれて」
「…ほぉ」
 視線も向けずにサブウィンドウをメインに切り替えて返事を打ち始めた健二に、佐久間は半分座った目を向けた。健二の楽しそうに緩んだ口元に、これがアバターだったら盛大に花でも飛ばしてんだろうなぁ、と考えながら佐久間は傍らのコーヒー牛乳をすする。
 返事を打ち終えた健二が保守点検のバイトの手を早めたのを見て、佐久間は一つため息をついた。
──…お前、それ、分かりやすすぎるだろ
 同じようにバイトのノルマをこなしながら、佐久間は心の中でツッコミを入れる。
 15分程でノルマを終わらせた健二は、バイト用に上げていたウィンドウを落としチャット画面へと切り替える。即座にパソコンからチャットルームへのログインを知らせるビープ音が聞こえて、あの夏以来、画面越しによく聞くようになった声が聞こえて来た。
『こんばんは、健二さん』
「こんばんは、佳主馬くん」
『…? そこ、どこ?』
「ああ、まだ学校なんだ。物理部の部室」
『あ、ごめん。ログインしてたからてっきり家にいるんだと思ってた』
「今日はバイトが長引いちゃって、まだ学校なんだ。だからほら、佐久間もいるんだよ」
 言いながらパソコンにつないだカメラを向けられて、佐久間はへらりと引きつった笑みを浮かべて手を挙げた。
「よ、キング」
『コンバンワ、佐久間さん』
 ちらりと見えたチャット画面の中で、佳主馬が射抜くような視線を佐久間に向けている。
──…こっちも分かりやすすぎ
 その不機嫌な顔を隠そうともしない佳主馬に苦笑しながら、佐久間はカメラの可視範囲外へと微妙に体をずらす。そんな佐久間に気付くことなくカメラの位置を直した健二は、のほほんと画面に向かって話し始めた。
「今日、希望校の提出期限だったんだ」
『もう希望校決めるんだ』
 まだ四月末だよね、という佳主馬に、健二も笑いながら『早いよねー』などと返している。
『健二さんはどこ受けるの?』
「んー。侘助さんの後輩にはなれないかな」
『そうなんだ?』
「うん。一応国立だけどね。受かればまた佐久間と一緒」
 健二の言葉にコーヒー牛乳をすすっていた佐久間が咽せた。
──おいおい、健二。キングは俺の進路なんか聞いてないだろ?
 相変わらずのほほんと話を続ける親友をマジマジと見つめて、佐久間は心の中でツッコミを入れる。
「学部は違うけどね」
『…そうなんだ』
「うん」
『健二さんと佐久間さんて仲いいよね』
 少し言いにくそうに、微妙にニュアンスを変えて返された言葉に、健二は明るく笑って言い放つ。
「うん。くされ縁だし」
『…ふうん』
「…? 佳主馬くん、どうかした?」
『ううん、何も』
「そう?」
『まだ学校なんでしょう? じゃあ、今日はもう落ちるね』
「あ、うん」
『もう遅いし、気をつけて帰ってね、健二さん』
「大丈夫だよ、佐久間も一緒だし」
『…じゃ、おやすみなさい』
「うん、おやすみなさい」
 チャットの画面を落としてカメラの電源も落とした健二は、自分を見つめたまま固まっている佐久間に気付いて、いぶかしげに眉を寄せた。
「佐久間? 何固まってんの?」
 目の前で手をひらひらと振られて、ようやく佐久間のフリーズが解ける。
「…健二、お前、少しは空気読めよ」
「は?」
「俺を殺す気か?」
 首をかしげる親友に、佐久間は急に痛みだしたこめかみを押さえて、深い深いため息をついた。






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