卒業します
卒業式を終えた夏希は春分の日を挟んだ一週間(両親は休みがとれないため三連休のみだが)、春の彼岸の墓参りを兼ねて合格の報告をしに上田へと足を運んだ。ちょうど春休みということもあり、万里子や万作、万助などからは『健二も連れてこい』と言われたが、海外赴任中の健二の父の帰国と重なったため、残念ながらそれは叶わなかった。
「皆さんによろしく伝えてください」
そういって手渡された土産物は、どうやって手に入れたのか、販売と同時に即完売することで有名な洋菓子店の焼菓子で。そういった限定品チェックに余念のない直美を『やるじゃないのよ〜!』と喜ばせた。
「で? その後どうよ?」
案の定、『夏希の合格祝いだー!』と盛り上がった親族が大宴会を繰り広げる表座敷で、やはりいい感じに出来上がった理香と直美が夏希にからんできた。
「どうって、何が?」
『無礼講だ!』と万作に押し付けられたビール入りのコップを片手に、夏希がきょとんと首を傾げる。
「決まってんでしょ? 健二くんよ。どこまで進んだわけ?」
「進んだって…」
「雪子に聞いたわよ〜。お泊まりとかしてるんだって?」
「ああ、うん」
騒がしい中でも直美の台詞と夏希の返事を奇跡的に拾ったらしい翔太が『なにぃ!?』と色めき立って喚いたが、あっけなく万助に沈められた。翔太の隣では、ジュースの入ったコップを手に佳主馬がさりげなく聞き耳を立てている。本人はさりげないつもりなのだろうが、ジュースが全く減っていないことに気付いている大人数人は、どこか生暖かい気分でその姿を見守っていた。
「ってことはなによ。いわゆる『男女の関係』ってやつ?」
「あ、それはない」
きっぱりと否定した夏希に、直美がついていた肘をかくんとはずす。
「はぁ?! 泊まりがけで何してんのよ、あんた」
「パソコンの使い方教わったりとか? それに、だいたい佐久間くんも一緒だし」
「…ちょっと、それ、マジで言っちゃってるわけ?」
一升瓶を片手に、理香が持っていたコップをどん!とテーブルに置く。
「うん」
「うん、って、あんた…」
呆れたように口を開けた直美に、夏希はビールを一口飲むと爆弾を投下した。
「だって、健二くんとはお別れしたもん」
騒がしかった座敷が一瞬静まり返る。
「「「「「「「「「なんで?!」」」」」」」」」
異口同音に叫ばれて、夏希の肩がびくりとはねる。返答を待つように身を乗り出した親族一同を前に、夏希は口元を引きつらせながら口を開いた。詳細を知っている両親だけが、苦笑しながら夏希を見ている。
「…えーと、なんか、『彼氏』っていうのとは違うかなぁ、って…。『家族になろう』っていったら、健二くんも頷いてくれたし…」
親戚一同から漏れた溜息に、夏希はコップを握りしめたまま途方に暮れた。
「あんた、さっきのあれ、本気なわけ?」
お開きになった宴会の後片付けを終えた夏希に、缶ビールをあおりながら直美が声をかけた。
『こればっかりは相性もあるからねぇ。ま、夏希のお婿さんじゃなくなったとしても、健二さんはうちの家族ってことで、いいんじゃないの?』
そう残念そうに言った万里子の一言で表座敷でのやり取りは収束したが、理香と直美はまだ納得していなかったらしい。
「うん」
「案外あっさりしてんのね、あんた」
夏にはあんだけ盛り上がってたくせに、と、理香も夏希をねめつける。
「んー。なんていうか、ね。健二くんの隣に別の人がいても、ヤキモチ妬かないってことに気づいちゃったの」
片付けを終えた母親達は、一足先に子供達の面倒をみに表座敷へと戻っていった。夏希は、それぞれ台所の椅子に腰掛けて残った乾きものをつまみに飲み直す理香と直美に捕まって、空いている椅子へと強制的に座らされていた。直美から差し出されたビールに苦笑して断る仕草をすると、夏希は手近にあった湯のみに茶を注ぐ。
「例えば、健二くんに焦がれる人ができたとしたら、あたし、全力で応援できる。もちろん、健二くんを不幸にしそうな奴だったら、全力で邪魔するけどね」
「あー、あんたホントに全力で邪魔しそうよね。そういうとこ、容赦なさそう」
柿ピーを口に放り込んだ直美が苦笑しながら言う。
「そこまで大事だと思ってんならいいじゃないのよ。別に、彼氏だって旦那だって。呼び方違うだけで要は『家族』ってことでしょ?」
さきいかに手を伸ばした理香が言うのに、直美はなぜか首を降った。
「やー、違いはでかいわよー。お互いフリーなんだからいいじゃない、って思うけどさー。案外、『彼氏』と『旦那』って違うもんだし」
直美の言葉に、理香が首を傾げる。
「そういうもん?」
「そういうもん」
ふーん、と手酌で酒を注ぎ足した理香が酒をあおる。
「一回失敗した人間の言葉は深いわ」
「ほっときなさいよ!」
飲み終えたビールの缶を、酔っているとは思えないコントロールで台所のゴミ箱に投げ入れた直美が喚く。そんな二人に苦笑しながら、夏希はお茶を一口啜った。
「健二くんのことは好きだし、大事だなーって思うんだけど。健二くんは優しすぎて、あたしのわがまま、全部かなえてくれようとしちゃうの。たまに、年の離れたお兄ちゃんとか、お父さんとかみたいって、思うときがあるんだ」
夏希の言葉に、理香と直美は顔を見合わせて苦笑する。
去年の夏、この家にやってきたひょろりとした少年を思い出す。一見弱そうに見えて、その実、彼がとても芯の強い人間であることは自分たちも知っている。そして、その強さと押しの弱さが混在する彼が、夏希を思うあまりに『庇護する対象』としてすべてをかなえようとする姿も、容易に想像できた。
確かに、夏希の言う通り、庇護されるものと庇護するものの関係が、本来対等であるべき男女関係と同じであるはずがない。『家族』という言葉が、その関係には一番しっくりくる。
「…ま、あんたが納得して決めたんならいいわ」
「まぁねぇ。これでお終いっていうわけじゃないし。あの調子じゃ、母さん。今度の夏も普通に呼びそうだしねぇ」
「言えてるぅ」
けたけたと笑いあう二人に、夏希は小さくため息をついて笑った。
台所を出て、与えられた部屋へと向かう。廊下の突き当たりで足を止め、曾祖母が生前使っていた奥座敷に目を向けた。夏希は柱に寄り掛かり小さく笑う。
「それにね、おばあちゃん。健二くんが本当に焦がれているのも、健二くんに本当に焦がれているのも、たぶん、あたしじゃないと思うんだ」
小さなつぶやきは、曾祖母に届いただろうか。
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