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家族になろう

「だから、健二くん。家族になろう?」
 そう言って手を差し出してくれた人の優しさに満ちた笑顔を、健二は、きっと一生忘れないだろうと思った。


 
 いつものように物理部の部室で佐久間と昼食をとりながら、PCに向かってああでもないこうでもないと言い合っていた時、夏希からメールが届いた。大きなハートマーク付きの『やった』というタイトルのメールには、無事志望校に合格したと書かれていた。
『お祝いは海の側の夢の国でいいからね』
 と続いたメールに佐久間と二人で苦笑して。
『おめでとうございます! では割り勘で(笑)』
 と返した、三月初めの金曜日。昼過ぎから降り出した雪のせいか、校舎はひっそりとしていた。
 3月に入ると、3年生の進路もだいたい決まってくる。後期試験で本命を受験する人もいるらしいが、大概は前期試験か推薦入学で進路を決めてしまう。
 夏希も前期試験で志望校への合格を決めたと言った。メールが届いた翌週月曜日に物理部の部室に顔を出した夏希は、「これで胃の痛みともお別れよ〜」と、心底ほっとしたように笑って言った。
「だからさ、夢の国。行こうよ。3人で。ね?」
 はしゃぐ夏希に佐久間と健二は苦笑して。
「分かりました。お供します」
 と言えば、「やった」とガッツポーズが返ってきた。
 その週の日曜日に行く事を決めて、待ち合わせ場所も決めた。相変わらずパソコン音痴な夏希のために、佐久間が『簡単パソコン教室』を開催して、3人でわいわい騒いで。珍しく見回りにきた顧問に追い立てられるようにして学校を出たのは、もうすっかり日も暮れて宵闇が深くなる頃だった。
「さむーい」
「今日は風が強いですからね」
「低気圧が関東南岸を通過するようなら雪になるって言ってましたよ、予報で」
 道理で寒いはずだよねー、などと話しながら校門へ向かう。
「もうすぐ卒業なんだね、あたし」
 校門を出た夏希が、校舎を振り返ってぽつりと呟く。
「なんか、3年間、あっという間だったな」
 同じように足を止めて校舎を振り返った健二と佐久間は、少し寂しそうな夏希の笑顔に、何も言う事ができなかった。

 そして迎えた3月半ば。今日は夏希の卒業式だ。在校生代表として参加する予定はなかったが、OZのバイトが入っていた健二と佐久間は、いつものように部室でパソコンに向かっていた。
 そんな時、卒業式を終えた夏希が、ひょっこりと物理部の部室に顔を出した。
「あれ? 夏希先輩?」
「剣道部の人たちと打ち上げ行ったんじゃなかったんですか?」
「うん、ちょっと」
 言葉を濁して淡く微笑む夏希に、空気がいつもと違うような気がして、佐久間は少し眉を潜めた。隣に座る親友と夏希とを交互に見て、苦笑して席を立つ。
「俺、ちょっと飲み物買ってきますね。何がいいですか?」
「佐久間?」
「あ、じゃあ、いちごみるく」
「了解です」
 財布と携帯を手に部室を出て行く佐久間を見送ってから、夏希は空いている椅子に腰を下ろした。
「健二くん」
「はい? 何でしょう?」
 夏希は膝の上の手をぎゅっと握りしめた。言葉を探して視線がさまよう。ふと、思い切ったように一つ息をつくと、健二をまっすぐに見た。
「あのね。お別れ、しよう?」
 夏希の言葉に、健二はマウスに乗せていた手をはたりと落とした。
「今まで、何となく、付き合ってるような、付き合ってないような、曖昧な感じで一緒にいたけど。やっぱり、中途半端ってよくないと思うんだ」
 『別れ』という言葉が防波堤の役割をしていたのか、その言葉を告げてから、夏希の声は止まらなかった。
「あ、誤解しないでね?! 健二くんのこと嫌いになったとか、全然、そういうことじゃないの! 健二くんが本当に大切な人だってことに変わりはないから! でもね…」
 一旦言葉を切ると、夏希は健二の手をとった。
 触れることが苦手だった、親族以外の異性の手。でも、健二の手を握ることはできた。それが夏希には不思議だった。
「健二くんに対して、焦がれるような激情が、生まれなかったの。健二くんの隣にいるのがあたしじゃなくても、健二くんが幸せならうれしい、って。そういう気持ちの方が強かったの」
 男にしては細い指先を見ながら、夏希の中で何かがすとんと落ちて来た。
──…ああ、そうか
 健二はじっと、自分の手を握って一生懸命に言葉を紡ぐ夏希を見ていた。
──…そうだったんだ
 そして夏希は、ただ黙って自分の言葉に耳を傾けてくれている健二をじっと見つめる。小さく息を吸って、自分の中の思いを吐き出した。
「たぶん、これは、恋じゃない、よね?」
 夏希の言葉に、健二は小さく頷いた。
 健二もどこかで解っていた。夏希に抱く感情が、恋人へのそれではないことに。ただ穏やかに、相手の幸せを望むことを、恋とは言わない。
 それは今まで健二には無縁だった、家族への愛情により近い。だから健二は、それを『恋』だと勘違いしたのだ。味わったことのない、あたたかな感情だったから。
 夏希は握っていた健二の手を一旦離すと、にっこりと笑って手を差し出した。
「だから、健二くん。家族になろう?」
「え…」
 夏希の言葉に健二は目を見開く。
「恋人にはなれなかったけど、家族として、健二くんが大好きです。だから、これからもずっと、一緒にいよう?」
 夏希の笑顔は優しさに溢れていて、健二は目の奥が熱くなってくるのを止めることができなかった。
 静かに涙をこぼす健二の背中を、夏希の白い手があやすようにたたく。
「…よろしく、お願いします…」
 差し出された手を握りしめて、健二は小さく呟いた。






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