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Restructuring

 あの日、世界は完膚なきまでに破壊された。



 “あらわし”の落下から三日目になってようやく、陣内家は多少の落ち着きを取り戻した。
 落下当日は、とりあえず寝場所の確保を最優先に、被害を免れた北側の部屋の片付けに追われた。翌日は爆風で半壊し、ひどい有様になった南側の部屋の片付けに終始し、三日目になってようやく、栄の葬儀を執り行う目処がついた。
 その間に侘助が出頭したり、理一が地元警察に出向いたりと、事後処理も同時進行していたようだ。もっとも、健二が警察で事情聴取されたのは“あらわし”墜落翌日のほんの一時間だけ。聴取を担当した刑事からも被害者としての扱いを受けたということは、おそらく、理一がその『ちょっと言えない』部署の権限でもって根回しをしたのだろうということが窺える。
 そして、葬儀も終わった四日目。佳主馬は、縁側に座ってぼんやりと庭を眺めていた。万助が壊した門扉のそばで、万里子と理香が業者に修理の指示を出している。他の大人達も屋敷のあちこちで片付けを続けているのだろう。時々木材のぶつかる乾いた音が聞こえた。
 そして、水の減った池のそばでは、健二がハヤテやちびっ子ギャングどもと鬼ごっこをしていた。
 すっかり懐かれた健二は、片付けの最中にも遊ぼうとするやんちゃ盛りの子供たちに四苦八苦していた。初日と二日目は男手を切望する母親達の鉄拳制裁が発動したため多少はおとなしかったが、三日目になると『解禁』とばかりに遊べとせっつくようになった。一時もじっとしていない子供を相手に、健二は苦笑しながらもこまごまと世話をやいている。
「────…」
 佳主馬は立てた左膝にあごを乗せて、まるで幼稚園の保父さん状態の健二を眺め続けている。
「?」
 洗濯物を抱えて縁側を歩いてきた聖美はそんな息子に首をかしげた。珍しいこともあるものだ。このところ、息子が納戸に引きこもっている姿をあまり見ていない。それどころか、必ずと言っていいほど健二に付いて回っている。随分と健二には懐いたようだ。
 自分で言うのもなんだが、息子は気難しいところがある。にぎやかな席を嫌い、あまり人と馴染もうとしない。だから、今回のことで佳主馬が初めて家族や親類以外の人間に興味を示したことに、聖美は驚くと同時に少なからず安堵していた。
 ふと、庭で幼い子供たちと遊ぶ健二に目を向ける。子供たちに振り回されて慌てる様は、あの時の強い意思を秘めた横顔の持ち主とはとても思えない。つい微笑ましく見つめてしまう。
「なに?」
 声もかけずに立ち尽くしていた聖美に、佳主馬がじれたように声をかけた。
「あんたも一緒に遊んでくればいいのに」
「冗談」
 子供と遊ぶ趣味はないよと嘯く息子に、聖美は軽く肩をすくめる。
「あんただって似たようなもんでしょ」
「…もうそんな子供じゃない」
 聖美は遠くを見つめたままそういった息子の頭をぐしゃぐしゃと混ぜた。
「ちょ、っと!」
 むっとして見上げてくる息子の頭をぺしりと一つたたいて聖美は笑った。
「自分のことを子供じゃないって言ってるうちは、まだまだ子供なのよ」
 洗濯物を抱えなおして歩いて行ってしまった母の後ろ姿を、佳主馬は憮然とした視線を隠そうともせずに見送った。そして、一つため息をつくと、すっかりぐしゃぐしゃにされてしまった髪を適当に手ぐしで撫で付けて、また庭をぼんやりと見つめる。
 母に揶揄されるまでもなく、自分でもらしくないことをしているという自覚はある。メールチェックやOZ関連の対応を必要最低限済ませてからは、ほとんど健二と行動をともにしていた。まるで、インプリンティングされたひよこみたいだと思って、その自分の発想に落ち込む。
 あの時、自分の背を押してくれた強い声も、自分の背中に置かれた手の感触も、誰もが避難を考えた時でさえ諦めなかった強い目も、全部骨に刻むほどの深さで覚えている。初めて『他人』を純粋に凄いと思った。あの演算能力もそうだが、それ以上に、折れない心の強さに魅せられた。
──憧憬
──尊敬
──友情
 だが、挙げ連ねてみた心情を現す言葉が、何故かどれもしっくりこない。
 庭で遊ぶ子供たちを呼ばう声がする。おやつの時間だとでも言っているのだろう。健二の手を引いてはしゃいでいた子供たちが一斉に台所へと走っていく。健二のことも呼んでいるようだが、彼は手を振って子供たちの背中を見送った。
「お疲れさま」
 一人取り残された健二が苦笑しながら縁側へと歩いてくる。それに声をかければ、へにゃりと笑って佳主馬の隣に腰をおろした。
「子供って元気だねぇ。もう、ついてくだけで精一杯」
「まだ高校生でしょ。年寄りくさいよ」
「僕、体力ないから…」
 足がもう限界という健二に佳主馬も小さく笑う。言葉をかわすでもなく、そのまま、二人そろって遠くを眺めた。
 そういえば、と健二が振り返る。
「今日はOMCはもういいの?」
「次は夜。エキシビジョンがあるくらい」
「そうなんだ」
「見に来る?」
「邪魔じゃない?」
 ぽつりぽつりと会話を交わしながら、いまだに遠慮が先に立つ健二に少し苛つく。
「…見たくないならそう言って」
「そんな! 邪魔じゃないならぜひ!」
 佳主馬の言葉に健二が慌ててそう言えば、佳主馬の表情が少し和らぐ。
「邪魔だったら最初から誘ってないし」
「うん、ありがとう」
 そう言ってふわりと笑う健二に、佳主馬の心臓が一つ大きな音をたてた。
「健二くーん」
 奥の方から夏希の声がする。健二は慌てて立ち上がる。伸び上がるようにして奥へと返事を返して佳主馬を振り返った。
「じゃ、また後で。納戸にいくね?」
 そう言うと、健二は縁側の沓脱石で靴を脱ぎ奥へと歩いていった。
「──…」
 ひょろりとした背中が視界から完全に消えたころ、佳主馬のとまっていた時間がようやく動き出した。大きく息をついて縁側にぱたりと倒れ込む。
 気付いてしまったかもしれない。目を逸らしていた方がよかったかもしれない自分の思いに。そして、その思いの先に待ち受けているのだろう、痛みに。
 でも、気付いてしまったからには後には引けない。これでも陣内の男だ。中途半端は許されない。
「いくら負け戦に挑む家系だからって…」
 呟いたら笑いがこみ上げてきた。敗色濃厚でも、おとなしく負けてやる気はさらさらないけれど。
「覚悟してて」
 


 あの日まで、佳主馬の世界はとても小さなものだった。閉じた、家族だけがいる世界。他人を踏み込ませないと決めた世界。
 しかし、その小さな世界ですら、佳主馬の手では守る事ができなかった。
 それを守った人は、いままで頑に拒んできた、血のつながりのない『他人』。
 その人の存在を受け入れた瞬間に、小さな世界は完膚なきまでに破壊された。

 そして世界は、あの人を核に再構築された。
 広くて、果てがなくて、怖いけれど、でもとても優しい世界に。






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