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鍋にしよう

 電車の一両目、一番前のドアの手すりに凭れて、佐久間は音楽を再生させたままの携帯を取り出した。イヤホン越しに聞こえた軽いベルの音はメールの着信を知らせるもので、タッチパネルを操作してみれば、見慣れた緑色のアザラシがメールを差し出すところだった。何度かのタップでメールの本文を表示した佐久間は、アプリを切り替えて音楽の再生を止めた。イヤホンを外すととたんに明瞭になる車内アナウンスが、目的の駅への到着を告げている。ドアへと向き直れば、もう片方の腕にかけた買い物袋がかさりと乾いた音をたてた。
 大きく揺れた車体が停車して、気の抜けるような音を立てて開いたドアから冷たい空気が流れ込んでくる。佐久間はイヤホンごと携帯を上着のポケットに突っ込み、足早にホームへと降りた。
 階段はいつも左端を歩く。降り切った先で右に曲がり点字ブロックに沿って歩くと、一番左側の自動改札機を通って外に出た。いつものように小さな売店の前を横切り、整備された駅前ロータリー沿いを左へ向かって歩く。
 佐久間は小さくくすりと笑った。
 気付けば、乗る車両やドアの位置、さらには使う自動改札機の場所まで、刻み込まれたかのように正確に同じ路を辿るようになっていた。考え事をしていても同じ経路を辿れることに、過ごした時間の長さを思って笑みが一層深くなる。
 タクシープールをぐるりと回ったところで、一般車両用の車線の路肩に見慣れた車とそのドアに凭れて立つ長身の姿を見つけて、佐久間は慌てて駆け寄った。
「理一さん? どうしたんですか?」
「メールをもらったときにね、ちょうど駅の近くにいたから。寒い中歩かせるよりは車で待ってた方がいいかと思ってね」
 軽く笑って言った理一に促されて、佐久間はすっかり乗り馴れた感のある助手席へと身体を落ち着けた。シートベルトを締め、腕にかけていた買い物袋を膝の上へと置く。がさりと少し耳障りな音を立ててビニール袋が揺れた。
「だったらさっきのメールにそう書いておいてくれれば良かったのに」
 少し拗ねたような言い方になった佐久間の言葉に、理一はくつりと笑う。ハザードを切り、右へとウィンカーを出すと、理一はちらりと視線を車列へ流し車を発進させた。
「一度見てみたかったんだ」
「何をですか?」
 首を傾げた佐久間に、ハンドルを握ったまま理一は軽く笑う。
「佐久間くんが駅から出てくるところ。前に『使う改札機まで決まってる』って言ってたでしょ? どこを使ってるのか見ておこうと思ってね」
 理一の答えに佐久間は目を見開いて、次いで顔を真っ赤に染めて俯いた。
──どんだけ乙女思考なんだ、俺!
 できることなら、理一の前でうっかり口を滑らせた過去の自分を殴ってやりたい。
「…忘れてください」
「んー、それは無理」
 佐久間の小さな呟きに、理一は視線を前に向けたまま笑う。
「僕の脳って、ある特定のことだけはやけに鮮明に記憶するようにできてるみたいだから」
「…も、ホント、勘弁してください」
 赤く染まった顔を俯ける佐久間に、理一は左手を伸ばすと髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜた。そのまま軽くぽんぽんとあやすように叩かれて、佐久間は上目遣いに睨み見る。
「…やっぱり性格悪い」
 ぽつりと呟いた佐久間に、理一は口角を綺麗に引き上げるだけの笑みを返した。
 車は駅前から伸びた幹線道路を抜け住宅街へと入る。徒歩の時とは違う道を通り、見慣れたマンションの地下駐車場へと滑り込んだ。
「今日のメニューは?」
 車を降りながらの問いに、佐久間はビニール袋を軽く上げるようにして揺らす。
「だいぶ寒くなって来たから、鍋でいいかなって」
「いいね」
「水炊きもいいけど、たまには豚が食べたいかなって思って」
 なので今日は寄せ鍋です、という佐久間に、理一は笑みを深くする。
「うん。シメは…」
「うどん買ってきました」
「ありがとう」
 会話を交わしながら車を回り込んだ理一が左手を差し出すのに、佐久間は迷うことなく右手を伸ばした。駐車場からエレベーターまでのほんのわずかの距離を、つないだ手を揺らしながら歩く。
 エレベーターへと乗り込みながら、佐久間は隣に立つ長身を見上げた。
 付き合いはすでに6年目になる。同じ部屋から出かけ同じ部屋へ帰るのにも慣れてきた。
 親子程も年の違う相手だ。いつ関係が終わってもおかしくないと思っていたのに、同じ鍋をつつき、同じベッドで眠ることが『日常』になっている。
 これが『身に添う』という事なのかと思うと、佐久間の口から小さく笑みがこぼれた。
「どうかした?」
 こぼれた笑みに気付いたらしい理一が不思議そうに見下ろしてくるのに、佐久間はふふっと声を立てて笑う。
「内緒です」
 一緒に鍋をつついて、今日も一日が終わる。それがどれほどに幸せなことなのか、どんな言葉を使えば相手に伝わるのか、佐久間には分からない。だが、こうしてつないだ手を離さずにいられる間は、おそらくその体温が幸せを伝えてくれるだろうと、佐久間は思った。






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