うちくる?
二回目の食事会は9月末の連休初日、場所は明るい雰囲気のイタリアンの店だった。前からこの店に来たかったらしい夏希は嬉しそうにはしゃいでいた。佐久間は理一の口から「うちの部署にこない?」という台詞を初めて聞かされて目を白黒させた。どう返答したものか一瞬悩んだが、隣に座った健二がのほほんと笑って「その台詞、懐かしいですねぇ」と返していたので、それに倣って軽くスルーした。
三回目の食事会は10月に入ってすぐの土曜日だった。落ち着いた和食の店で、夏希も行きたがっていたが補講と日程がバッティングしたために不参加だった。
四回目の食事会は10月最終週の土曜日、場所はカジュアルな雰囲気のフレンチの店だった。この時は海外赴任先へ戻る父を見送るために成田まで足を伸ばしていた健二が不参加だった。
そして、五回目の食事会になる今日は11月二週目の土曜日。今回もまた補講とバッティングした夏希は不参加だ。事前にそう連絡を受けていたので、佐久間と健二は理一から指定された集合場所に現地集合することにして、佐久間は空いた時間で久々に秋葉原のジャンクショップまで足を伸ばしていた。
目当ての部品はなかったが掘り出し物を入手して、ほくほくしながら駅へと向かっていた佐久間は、着信を告げた携帯を鼻歌まじりに手に取った。発信者の名前を確認すればそれはこれから会うはずの健二で、佐久間はタッチパネルを操作して電話に出た。
「おー、どうした? 健二」
『あ、佐久間? 今どこ?』
「待ち合わせまで時間あるし、出るついでに秋葉原で買い物してたけど?」
『そうなんだ。あのさ…』
「何だよ?」
言いにくそうに口ごもる健二に、嫌な予感が頭をよぎりつつ佐久間は先を促す。
『その、急に母さんから呼び出し来ちゃって、晩ご飯、一緒に食べることになったんだ』
「え?!」
『だから、申し訳ないんだけど、佐久間一人で…』
「ちょ、ちょい待ち! 俺一人?! ガチで?!」
慌てて携帯を握り直す佐久間の耳に、健二の心底申し訳なさそうな声が響く。
『ほんっとにごめん! とりあえず理一さんには連絡して事情説明してあるから』
「ちょ…っ、健二…!」
『あ、電車きた。佐久間、ホントにごめんね!』
慌てたような健二の声を最後に、佐久間の持つ携帯からは無情な不通話音が響いた。人の流れの真ん中で思わず立ち止まり、佐久間は呆然と呟く。
「…サシで、メシ? マジで?」
佐久間はしばしの自失の後、慌てて携帯を操作する。二度目の食事会の時に交換した目当てのメールアドレスを呼び出すと、新規メール作成画面を開きメールを打ち始めた。参加人数が2人になってしまった以上、今日の食事会は中止した方がいいだろうと速やかに進言しなければならない。
がしがしとパネルをタッチして、メールを送信しようとした矢先、携帯が着信を告げた。表示された『陣内理一』という名前に、先を越されたような気がして佐久間は小さく舌打ちする。通話許可のボタンをタップして電話に出た。
「はい、もしもし…」
『ああ、佐久間くん?』
「どうも…」
『さっき健二くんから連絡があってね』
「俺んとこにもありました。急用で行けなくなったって」
『うん、だからね』
「ええ、今日は…」
『佐久間くんさえよければ、二人で食事会でもいいかな?』
「…はい?」
理一の口から出た言葉に、佐久間は思わず間抜けな声を出してしまった。
『店も予約してあるし』
そう続いた言葉に、佐久間は思わず天を仰いぐ。せめて健二が自分に先に連絡してきてくれていれば、と思ってしまうのを止められない。それでも、店を予約してしまっているなら当日キャンセルだとキャンセル料が発生するはずだよな、と思い直した佐久間は、かける迷惑を最小限にするべく重い口を開く。
「…了解っす」
『うん、じゃあ、また後で』
通話の切れた携帯を握りしめ、佐久間は一つ大きなため息をついた。
「とりあえず、適当に頼むけど、好き嫌いとかある?」
「あ、いえ、特には」
おしぼりを受け取りながら理一が言うのに佐久間は首を振った。理一が店員へと何事かを言うのをぼんやりと聞きながら室内を見回す。
案内されたのは、こじんまりとした個室だった。小さいながらも床の間があり、水墨画の掛け軸が下がっている。花鉢に生けられた南天の赤い実がモノトーンの色彩の中でひときわ鮮やかだ。下が磨りガラスのグラデーションになった障子の向こうには壷庭があり、苔むした水鉢と柄杓が置かれている。
大人の隠れ家といった雰囲気の店内に佐久間は軽くため息をついた。自分がここにいることに、どうにも場違いな印象が拭えない。ジーンズにパーカーという服装も相まって、つい肩に力が入ってしまう。
「申し訳なかったね」
「え?」
ふいに言われた言葉に慌てて佐久間は意識を引き戻した。
「健二くんが来られなくなった段階で中止にした方がよかったんだろうけど、なかなか予約のとれない店だったんでね」
苦笑しながらそう言われてしまえば、佐久間には「そうですね」とは言えない。
「いえ…」
佐久間は曖昧に笑いながら、「いただきます」と手を合わせてお通しに箸をつけた。小鉢に入ったそれはひじきの煮物だ。ごま油で炒めてから煮込んであるのか、若干香ばしい香りがする。
「うま…」
思わず呟けば、理一がほっとしたような笑みを浮かべた。
「家庭料理がメインのお店なんでね。こういう、少し懐かしいメニューが多いんだ」
気に入ってもらえそうかな、と言われて佐久間は思わず大きく頷いた。
「なんか、大人の隠れ家っぽい雰囲気だったから、もっと肩凝りそうな料理が出てくるのかと思ってたんで」
ちょっとほっとしました、と素直に言えば、理一は軽く肩をすくめて笑った。
「肩が凝る料理は仕事で嫌ってほど食べるんでね。普段はこういう店に来る事の方が多いよ」
「あ、やっぱり、料亭で接待とか、あるんですか?」
「それに関しては黙秘しようかな」
軽口のような会話を交わして笑って、佐久間はふっと肩の力が抜けたような気がした。ちらりと盗み見た理一もまた、少し気の抜けたような表情で小鉢のひじきをつついている。
「ところで」
出し巻き卵を取り皿にとった佐久間は、傍らの大根おろしにかけようとして取り上げた醤油小出しを構えたまま首を傾げた。
「なんですか?」
「その紙袋、何が入ってるの?」
佐久間のすぐ側に置かれた紙袋を差して言った理一に、佐久間はああ、という顔をして止めていた手を動かした。大根おろしに染みた醤油が食欲をそそる。
「CPUです。昼間、秋葉原で買い物してて」
「へぇ…」
「サンダーバードの1.4GHzが安かったんで。第7世代のだから、今のに比べると能力はかなり落ちるんですけど」
もう5年以上前のだし、と続けた佐久間に理一は微妙な顔をする。
「…サンダーバードっていうと、アメリカのSFドラマがまず思い浮かぶよね」
理一の台詞に、出し巻き卵を口に運ぼうとしていた佐久間は思わず吹き出した。
「それ、理一さんも再放送世代でしょ?」
「小学校の頃に見てた覚えがあるね」
「民放再放送の頃ですね」
ちなみに、俺はDVDとNHK教育再放送世代です、と続けた佐久間に、理一は肩を竦める。
「秋葉原で買い物とか、よくするの?」
突然戻った話題に、佐久間は出し巻き卵を頬張ったまま首を傾げた。咀嚼して飲み込んで箸を置く。
「たまに、ですけど」
「もしかして、パソコンは自作派?」
「それしか使わないってほどの猛者じゃないですよ」
普通にメーカー品も使ってます、という佐久間に理一は小さく笑う。
「太助と話が合いそうだ」
「ああ、そうですね。昔のパソコンのリカバリとか…」
にこやかに笑って残りの出し巻き卵に箸を伸ばした佐久間に、理一はひょいと片眉を上げた。
「…太助は覚えてるんだね」
「…あ、あはは」
ぽつりと呟かれた言葉に、はたと気付いた佐久間は苦笑いを浮かべた。流石に、実はあの後もメールとかチャットでやり取りしてるんで、とは言えなかった佐久間である。
一つ息をついて苦笑いを浮かべた理一は、ふと、南瓜の煮物に伸ばしかけていた箸を止めた。
「そういえば、佐久間くんて普段はどんなマシン使ってるの?」
理一の問いに佐久間は出し巻き卵を取り皿に乗せながら宙を見る。
「ええと、部室のはデスクトップのタワーで、家ではタワーとノートを…」
どっちもAMDのクアッドコアですけど、と言いながら醤油小出しを取り上げて大根おろしに醤油をかける。
「Core 2Duoの2.53GHzとか、興味ある?」
理一が口にした言葉に、佐久間が固まった。
「それ…」
「L2キャッシュは12MBだったかな、確か」
ぽかんと口を開けた佐久間に、理一が面白そうに笑う。
「メモリは8GBしかつんでないけど」
箸を握りしめた佐久間の首が縦にぶんぶんと振られる。
「それ、まさかHDDはRAID組んであったりとか…!」
「ああ、うん」
ワークステーションじゃないすか、と小さく呟いた佐久間に、理一はにっこりと笑って言った。
「今度、うちくる?」
翌週、佐久間は指定された23区内のJR線改札口にいた。その駅から徒歩五分程だという理一のマンションまでの道程を携帯に表示する。ナビに従って歩きながらも、顔がにやけてしまうのを止められない。
安易に釣られた感は否めないが、ハイスペックマシンを思い切りいじり倒せる機会など、そうそうない。OZのバイトに精を出しているとはいえ、しがない高校生。そうおいそれと欲しいマシンが買える環境にはないのだ。とりあえず佐久間は、『遠慮』と『苦手』の計四文字は棚の上に乗せておくことにした。
マンションのエントランスで教えられた部屋番号を入力すると、ぷつりと回線がつながる音がしてスピーカーから聞き慣れつつある声が流れた。
『はい』
「あ、えーと…」
『今開けるから、ちょっと待ってね』
理一の声が終わらないうちに、自動ドアが開く。
『12階だから』
言われた言葉に頷いて佐久間は自動ドアをくぐった。エレベーターで指定された階へ向かう。
軽い音をたてて止まったエレベーターを降り、玄関ドアの横に書かれた番号を視線でなぞりながら歩く。目的の番号は廊下の突き当たりにあった。
玄関ドア横のインターフォンのボタンを押せば、ややあって誰何もされずにドアが開く。
「いらっしゃい」
「おじゃまします」
左手に体重をかけるようにしてドアを支える理一に、佐久間はぺこりと頭を下げた。
リビングに案内された佐久間は、物珍しげに辺りを見回した。余計な物の一切ないモノトーンで統一された室内は、理一のイメージそのままに綺麗に整頓されている。ソファの前に置かれたガラスのローテーブルの上に、ホームページでしか見た事のない憧れのマシンを見つけて、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「適当に座ってて」
そう言ってキッチンへと足を向けた理一を、佐久間は慌てて追った。
「あ、あの、これ、つまらない物ですが…」
佐久間が差し出した物を見つめて、理一の動きが止まった。四角い白い箱は、デザートなどが入れられているものによく似ている。
「…これ、は?」
「レアチーズケーキです。好きだって言ってましたよね?」
手作りなんで味はあんまり保証できませんけど、と続けた佐久間に、理一は少々ぎこちない動きでそれを受け取った。
記憶をたどってみれば、確かに四度目の食事会、フレンチの店で、コースの締めのデザートを選ぶ時にそんなことを言ったような覚えがある。
「…あ、りがとう。コーヒーで、いいかな?」
「あ、はい。すみません」
再度「座ってて」と促せば、佐久間は素直にソファの方へと足を向けた。そして、好奇心丸出しでパソコンの側にペタリと座り込む。その姿を見やって、理一は思わす口元を手で覆った。
「…これは。反則だよ、佐久間くん」
古今東西、男はみんな胃袋をつかまれることに弱いというのは本当らしい、と理一は思った。
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