頷く二人─給料三ヵ月分
並んでのべた布団に横になりながら、健二は佐久間へと小さく声をかけた。
「…佐久間、もう寝ちゃった?」
「いや、起きてる…」
吊るされた蚊帳の中、交わす言葉はひっそりと小さい。小さく灯されたオレンジの光が、弱くそれぞれの横顔を照らしている。もぞりと寝返りをうって顔を佐久間へと向けた健二が、視線を軽く彷徨わせてから言うのに、佐久間もまた、健二の方へと寝返りをうった。
「…うん。その、今日のこと、なんだけど」
「…ああ、うん」
「寝耳に水だったから、驚いた。理一さんとお付き合いしてるって、聞いてはいたけど、結婚って…」
「だよなぁ」
「だよなぁって…」
苦笑しながら言った佐久間に、健二が呆れたように言う。それに小さく笑みを返して、佐久間は天井を見上げるように姿勢を変えると、腕をあげて髪をくしゃりと混ぜた。
「俺も、昨日の今日だからさぁ。急転直下って奴? 実際のとこは、なんかもう、頭ぐちゃぐちゃで、よく分かってないかも…」
「でも、正直なとこ、どうなの? 佐久間は、それでいいの?」
「んー、いいっていうか、なんていうか…」
両の手を枕の横で重ねた健二に視線を向けて、佐久間は目を細めた。少しの逡巡の後もう一度目を向ければ、眼鏡を外したために滲む視界でも分かるほどに、心配そうに眉根を寄せた親友の顔が見えた。
佐久間は軽く息をつくと再び視線を天井へと向けた。ぼんやりとした視界に、淡く光るオレンジの灯が見える。
「…俺、理一さんのこと好きだったから、好きだって言われて付き合うことになった時は、嬉しかったよ。すごく」
ぽつりぽつりと呟くように話し始めた佐久間に、健二は口を閉ざしたままじっとしている。
「でもさ」
ふっと言葉を切った佐久間は健二を振り返ると、苦く笑った。
「やっぱ、年の差の壁って、でかいじゃん。いずれは自然消滅的に消えてなくなってくんだろうと思ってたんだよなぁ」
「佐久間…」
ぽりぽりと頬をかく佐久間に、健二はただ小さく名を呼んだ。
「体の関係だって、俺が18になるまでなかったし」
佐久間の口から飛び出した言葉に、健二の目が見開かれた。少し視線を彷徨わせて、明け透けなもの言いをした親友に視線を戻せば、相手は面白そうに笑っている。
「…そうなの?」
「そうなの」
少し上目遣いに睨み見ながら言った健二に、佐久間は小さく笑った。
「だから、まぁ、向こうも『長続きしないかも〜』って感じなのかと思ってたんだけどさ…」
再びころりと健二の方へ寝返りをうった佐久間は、ふいに手を伸ばして健二の頭をわしゃわしゃとかき回した。
「ちょ、佐久間! なにすんの!」
「なんとなくー」
笑いながらそう言った佐久間の手を退けると、健二はすっかり乱れた髪を手櫛で撫で付けた。ちらりと佐久間を見れば、オレンジの光に照らされてなお顔が赤く染まっているのが分かって、健二は思わず吹き出した。一連の行動は照れ隠しだったのだろうと分かったからだ。
お返しとばかりに伸ばされた健二の手をとり、佐久間は小さく笑う。そのまま、健二の指先を軽く握った佐久間は、枕へと顔を押し付けた。
「それが、昨日いきなり『挨拶に行くから』って。親父に向かって『お嬢さんを僕に下さい』って…。なんかもー、脳みそぱーんって感じになるじゃん…」
枕越しのせいかくぐもった声がそう言うのに、健二は笑みを浮かべると小さく頷く。
「…うん」
「まず思ったのは『いいのかなぁ』だったんだけどさ…。俺でいいのかなって、もっと理一さんにふさわしい人、いるんじゃないのって…」
「…うん」
「でも、なんか、親父に殴られた理一さん見たら、吹っ切れたっていうか…」
ただ相づちを打つに留めていた健二は、佐久間の言葉に思わずがばりと上体を起こした。
「え?! 理一さん、殴られたの?! 佐久間のお父さんに?!」
二人の布団の間にできた隙間に手をついて上から覗き込んでくる健二を見上げて、佐久間は口元に笑みを刷いた。
「うん。『娘はくれてやる。そのかわり、貴様を一発殴らせろ』だって、親父の奴」
佐久間の言葉に、健二の薄く開かれた口から、ため息のような声が細く漏れた。
「…はぁぁ」
相変わらず自分を覗き込んでくる健二の鼻を軽くつまんで、佐久間は畳につかれた健二の腕を軽く叩いた。そのまま軽く押して布団へ戻るように促す。それに渋々従った健二が布団に戻るのを確認して、佐久間は言葉を続けた。
「だから、まぁ、何とかなるかなって…」
「そっか…」
「うん」
健二のほっとしたような顔に笑みを返して、佐久間はことさら明るく言った。
「…しかし。昨日は疲れた!」
「ああ、実家で挨拶?」
からかう色を声に滲ませた健二に、佐久間も健二へと向き直ってへらりと笑う。
「そ。親父の動揺っぷりが半端なくてさー。理一さん、事前に実家に電話してたらしいんだけど、親父に言ったら当日絶対逃げると思って、俺たちが行くこと言ってなかったらしいんだよな、母さん。」
「…。」
「しかも、自分も電話の声のイメージと実物の理一さんがかけ離れてたみたいで、驚いて口あけて見てるし」
「…。」
「それ見て姉ちゃんは腹抱えて笑ってるし。ってか、笑ってるだけで何もしないって、なくね?」
「…。」
「なんか、もう、ものすごく、疲れた…」
何度も見た事のある佐久間の家族を頭に思い浮かべながら、相づちを打つ事も忘れて口を開けたまま佐久間の話に聞き入っていた健二は、こくりと息を飲む。
「…お、お疲れ」
何を言ったものか逡巡して視線を彷徨わせた健二の口から出た言葉はありきたりな物だったが、それに佐久間は目を細めた。
「健二も、他人事じゃないぞ」
「へ?」
「今のうちに親にキングのこと紹介しとけよ。後々楽だから」
「…それは。ちょっと、考えさせて下さい」
健二の言葉に佐久間は一瞬目を見開くと声を立てて笑った。
「で、これが理一さんの『給料三ヵ月分』なんだ」
「…らしいな」
「…。」
「…。」
「…さ、さすが、特別職の国家公務員だよね…」
「これが血税の成れの果てかと思うと、ちょっと申し訳ない気もするよな…」
「…佐久間。婚約指輪くらい、もっと素直な目で見ようよ…」
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