頷く二人─退路は断たれました
「…え、なに? 今日、俺、厄日?」
無情な不通話音を鳴らし続ける携帯を手に、佐久間は呆然と呟いた。
冷房の効いた室内で惰眠を貪っていた休日の昼過ぎ。突然の電話に叩き起こされ、一方的に怒鳴られ、一方的に切られた。
相手は親友がここ一年程片思いをしている四つ年下の少年で。互いが互いに片恋をしていることは知っていたから、何彼となくおせっかいじみた口出しをしていたのだが。まさか相手の性別を少年が誤解していたとは思わなかった。
しかし、そんな基本的な事を教え忘れていたからといって、この仕打ちはないんじゃないかとため息をつきながら、未だ不通話音を奏でる携帯を切る。こんなことなら携帯を枕元に持って来ておくんじゃなかったと佐久間は心底思った。
と、携帯を手にベッドに座り込んでいた佐久間の耳に、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。次いで、軽い音を立ててドアが開き、この部屋の持ち主が顔を出す。
「佐久間くん? 起きた?」
きっちりと髪を撫で付け、白いワイシャツに紺地に薄青色のラインの入ったネクタイをきっちりとしめた理一は、袖のボタンをとめながらベッドへと歩み寄ってきた。
「あ、おはよう、ございます」
一瞬視線を自分の胸元へと流した佐久間は、かなり大きなサイズの理一のシャツとはいえ、ちゃんと服を着ていることに安堵して、持っていた携帯をサイドテーブルに置いた。
「うん、おはよう」
ベッドに座った佐久間の隣に軽く腰掛けると、額にかかった髪をかき揚げそのままくしゃりとかき混ぜた。軽く音を立てて額に口付けた理一に、佐久間はくすぐったそうに肩を竦める。
「ところで、今の電話、誰?」
「あー、キングです」
「佳主馬? 何の用だったの?」
「キング、健二が女だって知らなかったみたいで…」
佐久間の言葉に理一は軽く目を見開くと、少し視線を上に向けて何事かを思い出したらしい。小さく頷いた。
「…ああ、なるほど。健二くんと夏希が上田に行くの、今日だったね」
「『女装させてくるってどうゆうこと?!』って怒鳴られました」
「あははは」
佳主馬の声真似をして言った佐久間に、理一は声を立てて笑う。それを軽く睨んで佐久間はため息をついた。
「笑い事じゃないですよ。いきなり切るし。あー、まだ耳が痛い…」
言いながら耳を軽くこすった佐久間は、今更ながら、理一のかっちりとした服装に首を傾げる。
「って、理一さん? これから仕事なんですか?」
ジャージの上下、ということはないが、家にいる時にはそれなりにラフな恰好をする理一が、ネクタイまできっちりとしめている理由は仕事しか思い当たらない。
「ん? ああ。仕事じゃないよ。うん、まぁ、ある意味勝負しないといけない日、ではあるけど」
軽く眉を寄せた佐久間の頭をぽんぽんと軽く叩いて、理一は立ち上がる。クローゼットへ向かい扉を開けると、紙袋を一つ持って戻って来た。
「?」
訝しげな表情を浮かべたまま、理一の動作を目で追っていた佐久間の膝に、その紙袋をぽすりと置く。しゃれたロゴがプリントされた紙袋は、佐久間でも知っている有名女性服ブランドのものだ。
「というわけで、佐久間くんもこれ着て。支度してね」
「…はい?」
紙袋をまじまじを見つめる佐久間に、理一はのほほんと言葉を続けた。
「今日は、ご両親、家にいらっしゃるんだよね?」
「…いると、思います、けど…」
「うん。なので、軽くご飯食べたら一緒にご挨拶に行こう」
「…はい?!」
ぐりんと音を立てる程の勢いで理一を振り返った佐久間を、面白そうに見つめてにこりと笑う。
「とりあえず、手みやげは用意したんだけど…。ご両親、虎屋の羊羹とかお好きかな?」
「…あ、あの、理一さん?」
「そうそう、明日は一緒に上田に行ってね。うちの親にも報告しないと…」
「え?! ちょ、はぁ?! さ、さっきから何の話なんですか?!」
立て板に水の如く言葉を続ける理一を佐久間は慌てて遮った。思わず握った紙袋の口がくしゃりと音を立てる。
「ああ、そうか。佐久間くんにまだ言ってなかったっけ」
「…全然、全く、ちっとも、聞いてませんが!」
訳が分からないと言った風情で見上げてくる佐久間に、理一は軽く笑うと再び隣に腰を降ろした。ポケットに手を入れ、小さな箱を取り出す。それをかぱりと開いてにっこりと笑った。
「高校卒業したら、僕のお嫁さんにならない? って話」
「…………え? えぇ? えぇぇ?!」
差し出されたものと理一を交互に見ながら、佐久間の口からは疑問の声しか漏れてこない。理一は軽くため息をつくと、佐久間の左手をとり、箱の中から取り出したものをその薬指へと通す。ぴったりのサイズだったことに一つ満足げな息をつくと、理一は未だ呆然と自分を見上げてくる佐久間の頬をするりと撫でた。
「佐久間くん? 返事は?」
「…ガ、ガチで?」
「ガチで」
鸚鵡返しに言葉を返されながら、佐久間の頭の中をツッコミがぐるぐると回る。
──…ってか、それプロポーズなんですか? 別にプロポーズに夢見てるわけじゃないけど、この状況でって、100%ナシですよね?
再度「返事は?」と問われた佐久間は、呆然としたまま「了解っす」と呟き、さらに脳内で自分へのツッコミを入れた。
──や、うん、まぁ、頷く俺も俺だけど。
顔洗って支度して、理一さんの車で家に帰ったら、両親がアホ面で出迎えてくれました。
お約束の『お嬢さんを僕にください』という理一さんの台詞がどこか遠い国の言葉みたいで、理解できてなかったように思います。
そして、うちの親父は許す代わりにと言って理一さんを一発殴りました。
でも、殴られた理一さんの上体がまったく動かなかったのは、流石は現役自衛官といったところでしょうか。親父、結構マジで殴ってたんですけど。
そんでもって、親父の涙目を初めて見ました。
でも、涙目の理由の半分は、殴った拳が痛かったかららしいです。後で母が暴露してくれました。
…まぁ、そんなもんです。
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