きみとぼくとそらとみらい
表座敷にいた親族一同が、ぽかんとした顔で走り去る佳主馬を見送った。かろうじて母の聖美が「挨拶くらいしなさい!」と叫んでいたが、走り去る足音が止まることはなかった。
「…まったくもう!」
廊下へと向けていた身体を戻した聖美は、廊下を向き、手を中途半端に上げたまま固まっている健二にきょとりと目を瞬いた。
「…健二くん?」
健二の隣では夏希が頭を抱えて深いため息をついている。
「…あのさぁ」
直美がポケットから取り出したタバコに火を付け、深く一息吸うと紫煙を吐き出した。同じくポケットから取り出した携帯灰皿にとんとんとタバコの灰を落とす。その隣では理香が座卓に置いた湯飲み茶碗を取り上げ、ずずーっと音を立ててすすった。万里子は「あらまぁ」と言いたげに頬に手をあて、三兄弟の嫁は聖美と同じくぽかんと口を開けたまま固まっていた。とん、と湯のみを置いた理香の動作が合図だったかのように、一同が顔を見合わせる。次いで固まったままの健二に視線を合わせた。
「「「「「…もしかして、健二くんの片思いの相手って、佳主馬?」」」」」
親族一同の言葉に、はっと我に返った健二の顔が完熟トマト並みに赤く染まって行く。正座した膝の上、握りしめた手までが赤く染まっている。
「…分かりやすすぎ」
思わず呟いた直美に、一同がうんと頷く。
「うちの佳主馬でいいの?」
聖美が嬉々として言うのに、健二は真っ赤に染めた顔をより一層俯けた。
「いいんじゃないの? 年齢的にも」
「姉さん女房は金の草鞋を履いても探せっていうしね」
直美と理香が言うのに、万里子も大きく頷いている。三兄弟の嫁達も、話はまとまったとばかりにすっかり空になってしまった湯のみに茶を注ぎ足している。
「健二くん、良かったね」
にっこりと笑う夏希に、健二は涙目になりながら顔を上げた。
例え親族一同が望んでくれたとしても、本人が望んでくれなければ一歩も進んでいないのと同じだ。ましてや、佳主馬はあの年にしてすでに自分の世界と価値観を持っている。親族に言われたから、という理由で簡単に自分の意思を曲げたりはしないだろう。
今夜は前祝いね〜、とはしゃぐ親族一同を横目に、健二は深いため息をついた。
一年だ。一年間、気持ちを必死に隠して─夏希と佐久間にはあっさりばれたけれど─、チャットやメールのやり取りをして、やっと『友人』としての位置を手に入れたと思った。
佳主馬が自分を男だと思っていることには早い段階で気付いた。自分を男だと思っているからこそ、佳主馬は懐いてくれたのだろうし、友人の位置を手に入れられたのだと理解している。
やっぱり、こんな恰好で来るんじゃなかった、と健二はチュニックの裾を恨めしげに見つめた。
「キングもお前の事そういう意味で好きなんだと思うけど?」
「健二くん可愛いんだから、ちゃんと女の子の恰好していこうよ!」
そういう親友や夏希に乗せられてこんな姿で来てしまったけれど、佳主馬は一目自分の姿を見るなり逃げるように走り去ってしまった。おそらく、気の合う年上の同性の友人だと思っていた健二が、実は性別を偽っていたことに『騙された』と思ったのだろう。走り去る佳主馬の背は健二の存在を拒絶していたようにも思えて、鼻の奥が痛くなってくる。健二は滲んだ涙をごまかすように、何度か瞬きを繰り返した。
と、ばたばたと廊下を走る足音が再び響く。息を切らせて表座敷に姿を表したのは、さっき走り去っていった佳主馬で。肩で息をしながら建具のふちを握りしめて立っている。その視線はまっすぐに健二を見ていた。
「あ、佳主馬」
「ほら、ちゃんと健二くんに挨拶…」
言いさした直美と聖美を無視して、佳主馬はずかずかと健二に歩み寄る。そのあまりの真剣な目に、健二が思わず後ずさった。かまわず歩み寄った佳主馬は、健二と向い合う位置で歩みを止めると畳に正座する。
拒絶の言葉を予見して顔を伏せた健二の前で、佳主馬は畳に手をつくと深々を頭を下げた。
「健二さん。おれ…、あ、いや、僕と結婚を前提に付き合ってください! お願いします!」
言い放たれた言葉に、親族一同の視線が佳主馬に集中する。
「…はい?」
言われた言葉が理解できずに、健二は思わず伏せていた顔を上げると、きょとりと首を傾げた。
そんな健二に、佳主馬が下げていた頭をあげる。膝をずいと進めて健二の手をとると、真剣なまなざしで健二を見つめた。
「健二さんのこと、男だと思ってた。でも諦められなかった。例え叶わなくても、受け入れてもらえなくても、『弟』ポジションでも、いいと思ってた」
「…か、ずま、くん」
健二は佳主馬の告白に動くことも出来ずにいる。
「女の人だって知って、嬉しかった。これで、誰にはばかることなく好きだって言える。だから、他の連中になんて渡したく無い」
佳主馬のいつになく饒舌な告白に、親戚一同、口を開けて固まっている。
「だから、俺と付き合って」
かくりと頭をたれた佳主馬に、健二の体温がじわじわと上がって行く。健二は自分の手を握った佳主馬の手をじっと見つめた。指先が細かく震えている。それに気付いた健二の目が柔らかく細められた。ふっと息をつくと、握られた手を握り返す。それが伝わったのか、佳主馬が弾かれたように顔を上げた。
ちゃんと笑えているかどうか自信はなかったが、健二は精一杯の笑みを浮かべる。佳主馬の手を離し、畳に手をついた。
「よろしくお願いします」
快哉を叫ぶ親族一同と、感極まったように目を見開く佳主馬。やれやれとため息をついた夏希の向こうに広がった青い空は、去年と同じくどこまでも澄み渡っていた。
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