女体化
Paralell
ぼくときみとそらとみらい

 複数の人の話し声がヘッドホン越しに聞こえる。佳主馬はヘッドホンをずらすと外の音を追うように納戸の入り口へと視線を巡らせた。
 朝食の時に万里子が「今日、昼過ぎに夏希と健二くんが来るから」と言っていたのを思い出す。玄関先が騒がしいということは、二人が到着したのだろう。
 佳主馬はため息を一つつくと、ヘッドホンをかけ直し書きかけのメールへと意識を戻した。文面を視線でなぞり、署名を確認して送信ボタンを押す。送信されたメールはただの手紙の形をしたアイコンとなって飛んで行った。
 キングカズマは画面の片隅で待機している。取引先の企業やスポンサーに宛てたメールをキングカズマに運ばせる事はない。親族にすらアバターメールを送ることは稀だ。
 キングカズマにメールを運ばせているのは、今のところ四人しかいない。両親と、去年、あの夏の出来事を共に乗り切った又従兄弟の後輩二人、その四人だけ。
 佳主馬は送信ボタンを押した指で、画面の端に待機している自分の分身をなぞる。
 キングカズマのパラメータで、一番『友人値』が高いのはあの人のアバターだと自信を持って言える。黄色い、リスなんだかタヌキなんだか曖昧な、不細工なのか可愛いのかも微妙な、あのアバター。ユーザーは『小磯健二』。
 佳主馬はもう一つため息をつくと、再生していた音楽を停止して外したヘッドホンを首にかけた。
 親族一同のかしましい話し声がひときわ大きくなる。おそらく、表座敷で夏希や健二を交えて、この一年の報告等をしているのだろう。すぐにでも席を立ってその場に行きたいが、どうにも踏ん切りがつかない。
「大丈夫だって。健二もキングのこと好きだから」
 あの人の親友は簡単に言い放ってくれたが、とてもその言葉を素直には聞けない。
 そう、佳主馬はあの夏以来、健二に恋をしていた。自分の気持ちに気付いたのは健二が東京に帰る数日前。初めはあり得ないと思った。四つも年上の、しかも男に恋をするなど。だが、否定しようにもその感情は心の中心に居座って、決して動こうとはしなかった。一晩悩んで佳主馬は決めた。諦めきれないなら叶わないまでも追いかけようと。
 そして、彼が東京に帰る日、かろうじて交わしたOZのIDとメールアドレスが唯一のつながりとなった。それを切らせないように、事ある毎にメールをし、チャットに誘い…。自分が信じられないほど、ありとあらゆる手段を講じて彼の中に自分の居場所を構築した。どんなに複雑なシステムの構築だって、これに比べれば余程簡単だと思えた程だ。最も、彼の親友が細々とした情報を流してくれなかったら、もっと難しかったのだろうが。
 佳主馬はノートパソコンの傍らに置いていたコップの中身を飲み干すと、首にかけていたヘッドホンを外してその隣に置く。立ち上がり、携帯を手に意を決したような表情を浮かべて納戸を後にした。
 表座敷に近づくと、親族一同の声がより一層大きくなる。
「うちの了平…といいたいけど、あいつ、彼女いるのよね〜」
「翔太は? 一応公務員だし、収入安定してるわよ?」
「理一…じゃ、年離れすぎてるか」
「侘助も理一と同い年だしねぇ」
「あら。じゃあ、うちの…」
「や、え、と、あ、あの…!」
 直美や理香の声に混じる健二の慌てたような声に、佳主馬は首を傾げた。何の話をしているのかと、ひょいと表座敷を覗いた瞬間、夏希の衝撃的な台詞が耳に飛び込んでくる。
「健二くん、好きな人いるから、翔太兄とかマジでナシ。今、絶賛片思い中なの」
 佳主馬は表座敷の建具に手をかけたまま固まった。夏希の台詞に、続いた親族一同の絶叫も耳を素通りしていく。
 思わず携帯を取り落とした佳主馬に気付いたらしい母が振り返った。
「あら、佳主馬」
 珍しいと言わんばかりの母の声の色も、落とした携帯もそのままに、佳主馬は立ち尽くす。そして、聖美の声に振り返った親族一同の中に、よく見慣れた、でも今まで見たこともない恰好をした想い人の顔を見つけて目を見開いた。
「か、佳主馬くん!」
 その人の口から聞こえた声は、確かにいつもパソコンのスピーカー越しに聞いているものと同じなのに、着ている服のせいなのか髪型のせいなのか、まったくの別人に見える。それどころか、性別さえ…。
 そこまで考えて、佳主馬は落とした携帯を拾い上げるときびすを返して駆け出した。自分の名を呼ぶ母の声には気付いていたが、それも振り切って走る。
 自分のテリトリーである納戸へと向かいながら、佳主馬は携帯のフラップを開けた。慣れた仕草で履歴を辿り、かけ慣れた番号を表示すると発信ボタンを押す。携帯を耳に押しあてながら、納戸へと走り込むと音をたてて引き戸を閉めた。肩で息をしながら、呼び出し音が途切れるのを待つ。
 コールすること7回。ぷつりと、相手との回線がつながる音が聞こえた、その瞬間、佳主馬はほぼ絶叫に近い声で相手に向かって怒鳴った。
「ちょっと、佐久間さん! どういうこと?!」
『…え?! は?! な、なに?! キング?!』
 電話越し、少し慌てたような相手の声に、佳主馬はイライラと前髪を掴む。
「だから、健二さんが…!」
『あー、健二着いたんだ』
 もうそんな時間かぁ、という声が間延びしている。どうやら寝起きのようだ。
『健二のカッコ、似合ってんだろー? 何しろ俺と夏希先輩の自信作だし』
「似合ってたけど…。って、そういうことじゃなくて…!」
 そんな佳主馬に気付かずに、佐久間がのほほんと言う。
「女装してくるとかって、一体何の冗談なわけ?!」
『いつもあーゆーカッコすれば男に間違われないのにさぁ』
 佳主馬は自分の声にかぶった佐久間の言葉に、思わず携帯を取り落としそうになった。
「……」
『……え?』
 先に衝撃から立ち直ったのは佐久間の方だった。
『…キング、今、なんつった…?』
「…佐久間さんこそ、今、なんて言ったの?」
『…まさか』
 佐久間が電話の向こうで息を飲んだ気配がする。
『健二が女だって、知らなかったのか?!』
「健二さんて、女の人だったの?!」
 二人、同時に叫んだ言葉に、佳主馬は思い切り脱力した。
「…それ、もっと早く言ってよ」
『…ガチで? キング、ガチで知らなかったわけ?』
「知らなかったよ! だからあんだけ悩んでたんじゃん!」
 うわー、と電話の向こうで呟く佐久間の声に、佳主馬は思わずしゃがみ込んだ。
 そう、年上の同性に恋をしたと思っていたのだ。だからあんなに悩んで、悩んで悩んで、それでも諦められないと思ったから、この一年、必死だったというのに。
『だって、理一さんは知ってたからさぁ…。住民基本台帳見たって言ってたし…』
 てっきり知ってると思ってたよ、という佐久間に、佳主馬は頭を抱える。しかしここで「その台帳、俺は見てないし!」というのも子供の駄々のようで、佳主馬の矜持が口をつぐませた。
『まぁ、いいじゃん。これで障害は一つ減っただろ?』
 後は年の差だけだし、という佐久間に佳主馬ははっと顔を上げた。先ほどまでの女衆の会話を思い出す。
 年末年始に夏希が『健二は婿にならない』発言をした時の親族一同の落胆ぶりは佳主馬もよく知っている。『健二を陣内一族に』という、それは親族一同の野望になっていると言ってもいい。そんな親族達が楽しげに了平や翔太、理一の名を出していたことに、思い至る理由はただ一つ。
「佐久間さん、またね!」
『え、ちょ…!』
 佐久間の慌てたような声を無視して、佳主馬は携帯の通話ボタンを切った。ポケットに携帯を突っ込み納戸の引き戸を開け放つと、表座敷へ戻るべく駆け出した。






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