高く、低く、鈴のような音が響いている。健二は瞼をさす光に呼ばれるように、うっすらと目を開けた。見回した目に映るのは、白亜の柱と、紗の掛け布。極楽というところは、竜宮によく似ているのだろうかと考えて、健二は右腕が動かないことに気付いた。
重い頭を巡らせてみれば、自分の手を握りしめて布団に突っ伏す人の姿が見える。その髪の色に、健二は首を傾げた。
「─…かずま、くん?」
健二の小さな呟きに、その人はがばりと起き上がる。
「…かず、ま、くん?」
健二は一つ目を瞬いた。少し呆然とした様子で見下ろしてくるのは、どう見ても自分とそう年の違わない外見の青年だ。確かに佳主馬の面影はあるが、あまりにも記憶にある姿とは違っている。
「…具合は、どう?」
声も低い。健二は頷きながらも現状が把握できずにいる。
そんな健二に、佳主馬は小さく笑うと、右手で握りしめていた健二の手を両手で包んだ。その手を額につけて、長く安堵の息を吐く。
「良かった、目、覚ましてくれて…」
そう言う青年に、健二は一つ瞬くとぽつりと呟いた。
「…やっぱり、佳主馬くん、なの?」
「…そんなに変わった?」
質問に質問で返された健二は、苦笑しながらこくりと頷いた。
「…だって、僕とそう変わらなく見える」
あの時はまだ、背丈だって自分の肩程までしかなかった、と続けた健二は、はたと気付く。
自分はあの時、佳主馬を突き飛ばして、鯱の刃に刺し貫かれたのではなかったか。たしかに、胸に食い込む白い刃と、その刃が血に濡れながら引き抜かれたところを、自分は見ている。
「…ぼく、は、生きてる、の…?」
呆然と、佳主馬を見上げて呟く健二に、佳主馬は頷いた。
「生きてるよ。健二さんは、ちゃんと生きてる」
「でも…」
佳主馬は口を開きかけた健二を目線で押しとどめて、左手で枕元に置いてあったそれを取り上げた。健二に見えるように指にかける。目の前にぶら下げられたものに、健二は目を見開いた。それはあの宮で乙姫が自分の首にかけてくれた、先代竜王の牙で作られた首飾りだった。牙の形を模して彫られた幅広の部分に、無惨にも放射状の皹が入っている。
「これが、刃を止めてくれたんだろう、って、万作おじさんは言ってた」
本当はそれだけではないのだが、佳主馬はそれに関しては口を噤んだ。いずれ、健二が自分の本性に気付けば、自ずとその理由を知ることになるだろうから。
「…そうか」
釈然としないながらも頷いた健二に、佳主馬は軽く息を吐くと首飾りを卓に置いた。
「…健二さんに、聞いて欲しいことがあるんだ」
「なに?」
佳主馬は握っていた健二の右手を離すと、意を決したように起き上がる。健二の顔を挟むように両手をつき、そっとその左の耳元に唇を寄せた。
「『私の宝珠』」
言われた言葉に健二の目が見開かれた。顔を離し、薄く、照れたような笑みを浮かべて覗き込んで来る佳主馬の頬に、健二は思わず手を延ばす。唇はわななくばかりで何も言う事ができない。
「…かず、ま、くんが、当代?」
やっと絞り出した言葉は、みっともなく震えている。その震える声の問いに、佳主馬は頷くことで応えた。
「…いい、の?」
「ん?」
「宝珠は、選ばないって、言ってた、のに、いいの?」
健二の問いに、佳主馬はまた一つ小さく頷いた。そして、ほっと大きく息をつくと、健二に覆い被さるようにぱたりと倒れ込む。
「…よかった、消えなかった」
「…何か、言った?」
小さく呟かれた声は健二には聞き取れなかったようだ。健二の肩に額をすりつけながら、佳主馬は小さく笑って首を振る。
「…なんでもない」
あの時、手の中で砕け散ってしまった青珊瑚のように、今ここにある暖かい存在が消えてなくならなかったことが、佳主馬には何より嬉しい。
体を起こした佳主馬は健二の頬に手を這わせて笑う。
「名前、呼んで…?」
甘えるような佳主馬の仕草に戸惑いつつも、健二はその名を呼んだ。
「佳主馬、くん」
瞬間、部屋に光が満ちる。光は白亜の柱にぶつかり、紗の掛け布を撫で、柔らかに広がって消えていく。
「…い、今の、なに?」
健二は霧散した光を追って視線を彷徨わせながら、佳主馬の袖を握った。不安げな健二の様子に佳主馬は安心させるように軽く頬をなでる。
「海が寿いでるんだよ。健二さんを」
佳主馬の声に合わせるように、再び部屋に光が満ちた。流れ消えて行く光を置いながら健二の口元が笑みの形に緩む。
「…じゃあ」
うん、と頷いた佳主馬が、遠くを見るような目をする。
「これで、深海からの侵攻も少なくなると思う。陸の季節も、きっと、ちゃんと回る」
健二はその言葉に、満面の笑みを浮かべた。それに笑みを返して佳主馬は言う。
「だからもっと、名前を呼んで」
「…佐久間くん? 何してるの?」
部屋の前に立ち尽くす佐久間を見とがめた理一が声をかけた。ぎくりと肩を揺らして振り返った佐久間は、声の主に苦笑を返す。
「や、健二の見舞いに来たんですけど…」
「…入りにくい、とか?」
「というか、入れない? みたいな…」
理一はひょいと片眉を上げると、戸口に歩み寄り掛けられた紗の隙間からこっそりと中を伺う。ややあって、微妙に視線を彷徨わせながら一歩下がった。
「…ね?」
「…うん。思い切り威嚇されちゃったよ」
理一の言葉に、佐久間は深いため息をついた。
「あーあ、しばらくは健二に会えなさそう…」
佐久間のぼやきに理一は笑ってその髪をかき混ぜた。
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