竜王×宝珠
Paralell
 

 外宮の中に残る鯱を切って捨てながら理一は脇目も振らずに内宮へと向かう。先ほどから嫌な予感がして仕方がない。無事で居て欲しいと願う相手は己の番いと、その番いが心を砕いている陸の少年。
「…ちっ!」
 理一は二人を残した己の判断が誤っていたことに舌打ちをしながら、内宮へと向かう回廊に足を乗せた。瞬間、目の前に広がった光景に、足が止まる。
「…!」
 そこは、一面の血の海。切り刻まれた鯱の骸が幾重にも折り重なっている。夥しい数の骸の先には、褐色の肌をさらした人影が一つ、ぽつりと立ち尽くしていた。理一は息を飲んでその姿を凝視する。
「…っ! な、なに、これ…!」
 理一に続いて回廊へと踏み込んだ夏希が短く口の中で悲鳴を上げる。そして、理一が見つめる先を視線でなぞり、目を見開いた。
「…か、ずま…?」
 両手を血に染め上げ、さらに大量の返り血を浴び、まるで糸の切れた人形のように立ち尽くしているのは、確かに佳主馬だった。だが、その容姿はすっかり変わっている。高い背、すらりとしなやかに長い手足、髪も背を覆う程に長い。
「…どういう、こと、なの…?」
 思わず理一の袖に縋った夏希に、理一も小さく首をふる。
「…わからん。いったい、なにが…」
 呟いたところで、佳主馬の体がゆらりと傾いだ。かくんと膝をつき、床に踞る。慌てて駆け寄った理一と夏希の視線の先、佳主馬の目の前に横たわる人影に二人は足を止めた。
「…けんじ、くん…?」
 理一は咄嗟に健二と共にあったはずのもう一つの人影を探した。その姿はすぐに見つかった。内宮へと続く門の前、由美と典子に付き添われて泣き崩れている。
「佐久間くん!」
 大股に歩み寄れば、理一の声に気付いたらしい佐久間が、涙でぐちゃぐちゃになった顔をゆっくりと上げた。
「り、いち、さ…」
「…うん。ごめんね、遅くなった」
「…。」
 目の前に跪いた理一に、佐久間の両手が伸びる。理一の袖を掴んだ佐久間が、とす、とその額を胸に押し付けた。
「…しゃちが、なかにわ、から、来てたん、です。もう、少しで、内宮の門だった。おれ、健二の手、引いて走って…。でも、健二、戻ったんだ。かずまを、つきとばして、かわりに…」
「…分かった。もう、いいよ、佐久間くん」
 袖を握りしめて嗚咽を漏らす佐久間の頭を自分の胸に押し付けて、理一は天を仰ぐ。
 次いで理一は、佐久間の傍に同じように座り込んでいる典子と由美に視線を向ける。二人は言いにくそうに顔を見合わせた。
「健二くんが倒れ伏して、佳主馬が悲鳴を上げて…」
「まるで、取り憑かれたみたいに、鯱を素手で殺し始めて…」
「で、あれか…」
「…ええ」
 佳主馬は変わらず、健二の骸の前に膝をついたまま、ぼんやりとした目で健二を見つめている。回廊に集まってきた者達も何も言えずに立ち尽くしていた。
 佳主馬は目の前に横たわる人をじっと見つめていた。口元に笑みまで浮かべて、まるで眠るように横たわる人。右手を伸ばしてその頬に触れた。ほのかに暖かいその白い肌に、赤黒い線が一筋走る。それに気付いていないかのように、佳主馬はゆっくりと健二の背に手を差し入れた。そのままそっと抱き上げる。
「…健二、さん?」
 耳元で、そっと、今まで一度も呼んだことのなかった名を呼ぶ。返事を返してくれないその人の髪に、佳主馬は頬をすりつけた。幾度もその髪に頬をすりつけて、佳主馬は自分の頬が濡れている事に気付く。それが流れ出る涙のせいだということに思い至った佳主馬は、動きを止めた。
 確かめるように健二の背に手を這わせる。そのまま、両の腕をゆっくりと狭めて、力の限りその細い身体を抱きしめた。
「…っ」
 どんなに強く目を閉じても流れる涙は止まってくれない。喉からせり上がってくる嗚咽も、どんなに歯を噛み締めても、ほんの少しの隙間から逃げて行く。
「…んじ、さん。けん、じ、さん。けんじ、さん。けんじさん。けんじさんっ…!」
 嗚咽とともに佳主馬は健二の名を呼び続けた。
 どれほどの時間をそうしていたのか、ふと人の気配を感じて顔を上げた佳主馬の前に、一人の女性が立っていた。はんなりと笑むその顔に見覚えがあった。佳主馬は流れる涙もそのままに、その女性を見上げる。
「…乙姫」
「お久しう」
 さらりと衣擦れの音をさせて、乙姫は佳主馬の視線に合わせるようにかがんだ。
「初めて見ますね」
 くつりと笑う乙姫に、佳主馬はただ健二を抱きしめるばかりで何も言えずにいる。
「いかが? 人の為に流す涙というものは」
 そう言いながら、乙姫は佳主馬の頬を伝う涙を拭う。
「乙姫…!」
「ようく、聞いてご覧なさいな」
 乙姫の言葉に、佳主馬は目を見開く。慌てて健二の胸に耳をあて、確かに聞こえた鼓動に再び乙姫を見上げた。
「先代とこの方に、感謝なさい」
 健二の胸には、乙姫のかけた先代竜王の牙の首飾りが、大きくひび割れてかかっている。そして、いかな不思議でか、確かに刺されたはずの健二の胸には、血の跡すらない。ただ服が刃の幅に裂けているだけだ。
 呆然と見上げる佳主馬に、乙姫は柔らかく笑う。
「目覚めたら、言って差し上げなさい。『私の宝珠』と」
 言うなり、乙姫の姿は掻き消えた。
 佳主馬は乙姫のいた空間に一つ頷くと、もう一度、健二の細い身体を力一杯抱きしめた。






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