竜王×宝珠
Paralell
5

 辿り着いた内宮の厩に騎獣の姿は一つもなかった。颯も佐久間と健二を降ろすなり、一声高く鳴いて外宮の方向へと飛び去っていった。おそらく理一は外宮のどこかで戦っているのだろう。主を追っていった颯を見送って、佐久間と健二は内宮へと急ぐ。見る限り、まだ内宮に鯱が入り込んだわけではないようだ。
「健二、こっちだ!」
 健二は佐久間に手を引かれて院子を抜ける。見慣れた内宮の外門を見てほっとしたのも束の間、背後に複数の足音を聞いて振返ると、黒い装束の輩が外宮からの門をこじ開けて躍り出てきたところだった。
「…っ! 健二、走るぞ!」
 佐久間に強く手をひかれ、健二は縺れて転びそうになる足を必死に動かした。あと少しで内宮の門に踏み込めると思ったその時、健二はぐいとすさまじい力で後ろに引かれた。掴んでいた佐久間の手がするりと逃げていく。
「…っ! 健二!」
 手の離れる感覚に、佐久間が振返る。そこに見たのは、刃を振りかぶった鯱の姿。取って返した佐久間の目の前で、健二の腕を掴んでいた鯱の腕が血飛沫をあげて飛んだ。低くうめき声をあげて回廊を転げ回る鯱の向こうに、甲冑を纏った小柄な少年の姿が見える。
「かずま、か?」
 呟く佐久間に冷たい一瞥を投げると、佳主馬は容赦なく鯱の胸へと白刃を突き立てた。そのまま、返り血を浴びて座り込む健二の腕を掴んで佐久間の方へ押しやる。
「行け!」
 雄叫びをあげて突進してくる鯱の刃を紙一重で交わしながら佳主馬が叫ぶ。
「早く!」
 佐久間はこくりと頷くと、座り込んだままの健二の腕を引いた。佐久間に手を引かれるまま、内宮への門へと足を踏み出した健二は、院子へ視線を流してはっと目を見開いた。さっき自分達が抜けて来た小径を鯱の黒い体が辿っているのが見えた。慌てて佳主馬に視線を向けるが、佳主馬は外宮の門から流れ込む鯱に手一杯で院子の賊に気付いていない。
「…か、佳主馬くん!」
 叫んだ健二の声は刃のあげる悲鳴にかき消されて佳主馬には届かない。
 院子の小径を辿って来た賊が、佳主馬のすぐ横、回廊の脇に姿を現した。手にした白刃が鈍い光をはじく。健二は思わず佐久間の手を振り払い、回廊へと取って返した。
「健二?!」
 佐久間の叫びを無視して、健二は言う事をきかない足を無理矢理に動かした。血にまみれた紅の甲冑を纏う少年に走り寄り、自分よりも小さな体を突き飛ばす。その体は、健二の渾身の力でもって回廊の端へと飛んだ。そして、彼が居たところには健二がいた。
 走り込んだ時の勢いを殺せずたたらを踏んでよろけた健二に、鈍器で殴られたような衝撃が伝わる。霞む視界の端、健二は鋭い刃が己の胸へと食い込むのを見た。刺し貫かれた勢いのまま、体が仰向けに流れていく。見上げた空は、陸で見たものとまるで変わらない、透明な蒼。自然と、薄い笑みがその唇に浮かぶ。
 不思議と、痛みは感じなかった。
 佳主馬は、回廊の端に転がった状態で、健二の胸に鯱の振り下ろした刃が深々と刺さるのを、見た。
 まるでコマ送りのように、全てのことがゆっくりと動いてみえた。白刃に貫かれた健二の体が崩れるように回廊へと倒れ込む。その胸から引き抜かれた血塗れの刃が鈍い光を放つ。健二に駆け寄ろうとする佐久間を引き止める由美と典子の姿が視界の隅に見えた。
「…ぁ!」
 佳主馬はそれら全てを見ていた。見開いた目に汗が入り、視界がいびつに濁る。迫る敵の姿もよく見えない。どくどくと脈打つ、自分の心臓の音さえもが五月蝿い。
「…ぁああぁっぁああああ…!!」
 開いたままの口から、ずるずると悲鳴が出てくる。それとともに、どこか佳主馬の奥深いところで、何かがかたりと音を立てて外れた。
「…っ!!」
 最後にあがった悲鳴は、少年の高い声ではなかった。
 まさにそれは、王たる竜の、獣の咆哮だった。

「な、なに?! 今の…!」
 斬りつけてきた鯱を袈裟懸けに切り、返す刀で背後の敵を刺し貫いた夏希が、その刀を露払いながら驚いたように言う。
「お、雄叫び…?」
 やはり夏希の傍近くで鯱を切り捨てた直美が、その骸を蹴飛ばしながら、響き渡った音の方向を探るように周囲をぐるりと見渡した。
「…ありゃあ、佳主馬だ」
 転がっている鯱の装束で拭った刀を納めながら万助が言う。
「万助おじさん!」
「父さん! 佳主馬って、どういうこと…?」
「…今のは、何だ?」
 口々に言う従孫と娘に無言を返して、万助は歩み寄った甥へと視線を向けた。
「向こうは?」
 頬にできた傷から流れ出る血を拭いながら現状を確認する。理一は戻るとすぐ、装束もそこそこに、鯱の攻勢が一番激しい外宮大外門の制圧へと向かっていた。
「ほとんど片付いた。雑魚の始末は翔太に任せてこっちに来たんだが…」
「あれ、内宮の方から聞こえたわよね…」
 万助の傍近くに寄ってきた直美の言葉に、理一はそのまま走り出す。
「あ、ちょ、ちょっと! 理一おじさん! 待って! あたしも行く!」
 夏希が慌ててその後を追った。
「父さん、佳主馬って…」
「…あんな叫びを一度だけ聞いたことがある」
 万助も内宮へと足を向けた。慌てて続いた直美の耳に、父の低く抑えた声が言う。
「ばあさんが、宝珠を亡くした時だ」
 直美は思わず足を止めて息をのんだ。






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