4
足音高く室内に入ってきた人物に、佳主馬は見ていた書面から顔を上げた。とたんに陰った視界に気付いた時には、頬を強い衝撃が襲っていた。
「…なにす…っ!」
突然の事に衝撃を逃しきれず床に転がった佳主馬は、切れた口元を拭いながら起き上がる。そこには怒りもあらわに、殴った右手を開いてぷらぷらと振る夏希が立っていた。周囲にいる者も、夏希の突然の行動にぽかんと口を開けたまま固まっている。
「殴りたくなったの」
腰に手を当てて仁王立ちした夏希が言い放つのに、佳主馬は一瞬唖然として、次いで殺気を込めた目で睨み見た。対する夏希は怒りの気配を隠しもせずに悠然と立っている。
「なんだよ、それ!」
「それはこっちの台詞よ! なんなのよ、あれ!」
眉間に深く皺を刻んだ夏希が、佳主馬の襟元を掴まんばかりの勢いで言い返す。
「あんた、健二くんを殺す気?!」
夏希の口から出た言葉に、佳主馬の殺気が一瞬怯む。
「あたしが万里子おばさんの名代で東の竜宮に行ってる間に、なんであそこまで酷くなってるのよ! あんた、なに考えてんの?!」
「…っ!」
夏希の剣幕に、同じ室内にいた理香と理一は「あ〜あ…」と顔に書いてただ見ている。怒り狂った夏希は誰にも手がつけられない。
「あんたが宝珠を選ばずに寿命縮めんのは勝手だけど、それに健二くんを巻き込むのはやめなさい!」
ぴしゃりと言った夏希に、理香が胸の前で小さく拍手をする。それを「姉ちゃん…」と小さく咎めた理一もまた、苦笑を浮かべていた。
「…あ、あ〜、夏希さん、もう、やっちゃった…?」
軽い足音がして佐久間が戸口に姿を現した。肩で息をしているということは、内宮から怒りに任せて全力疾走した夏希を追いかけてきたのだろう。
「うん、ついさっき」
「ぐーで思い切り」
「…。」
姉弟揃って言うのに佐久間はがっくりと肩を落とす。
「止めてくださいよ…。せめて形だけでも…」
「あー、無理無理。あの猪突猛進娘をあたしらなんかに止められるわけないでしょ?」
「僕もまだ自分の命は惜しいしねぇ」
ねー、と頷き合う姿はさすが姉弟と思いつつ、佐久間もその心情は解らなくもないので苦笑いを浮かべた。
そんな外野を意に介さず、夏希と佳主馬は睨みあっている。
「あの人が海の者になることを拒んでる以上、僕にもどうしようもないだろ?!」
佳主馬の言葉を夏希は鼻で笑う。
「そうだったわね。あんた、まだ雛だものね。ちゃんと成獣した竜王だったら宝珠持ちじゃなくても、本人の意思に関係なく海の者にできるのにね」
「…っ!」
「一回くらい宝珠選び損ねたからって、臆病風に吹かれて成長まで止めたあんたには、確かに竜王の資格はないのかもしれないわね」
夏希の言葉に、佳主馬の顔が怒りで赤く染まる。
「…夏希姉に…!」
俯いて拳を握りしめた佳主馬は怒りに震えた声で叫んだ。
「あんたに何が解る!」
佳主馬の叫びに、夏希は眉間の皺をより深くする。
「王になることの重圧が! 宝珠に拒否されたあの絶望感が!!」
佳主馬の叫びに、理香と理一も眉間に皺を寄せた。
「だいたい、好きで竜王になったわけじゃない!」
佳主馬が言った瞬間、今度は、ぱん! という高い音が響く。
「あんた、うざい」
音の出所は、夏希の後ろから割り込んだ直美の右手だった。
「歴代の竜王全員、それこそ、先代のおばあちゃんだって、同じ条件で竜王になってんのよ。甘えんな、ばか」
夏希、行くよ、と夏希の襟に指をひっかけて引きずりながら、直美は悠然と部屋を出て行く。頬を張られた佳主馬は呆然と立ち尽くしていた。
文机に頬杖をついて成り行きを見守っていた理香と理一は感心したようなため息を落とす。佐久間はあまりの展開に口をかぱりと開いたまま固まっていた。
「直美って、ホントこういう時のタンカだけは天下一品だわ」
思わず呟いた理香の言葉に、理一と佐久間が深く頷く。
「でも、とばっちり食う前に出ようか?」
「そうですね…」
「そうね、残ってんのも基本破壊神だし」
部屋壊した時の片付けは自己責任よね、と肩を竦めた理香に、理一と佐久間は顔を見合わせて苦く笑った。
※ブラウザバックでお戻りください