「けーんじ。具合どうだ?」
「…さく、ま…?」
うつうつらと夢と現をさまよっていた健二は、聞き慣れた声にうっすらと目を開けた。視線を声のした方へと向けた健二は、枕元に座る佐久間をみとめて軽く瞬いた。佐久間の手を借りて起き上がりながら、小さく笑みを浮かべた。
「今日はだいぶいいよ。久しぶりに朝ご飯を食べたもんだから、奈々さんに大騒ぎされたくらい」
「そうか、そりゃ良かった」
いいながら、佐久間は健二に気付かれないように眉を潜めた。
初めて会った時よりも、だいぶ痩せたと思う。元々白かった肌が、今はまるで紙のようだ。起き上がるために佐久間にすがった手にも、ほとんど力がない。
「…なあ、健二。言いたかないけどさ。いい加減、決めちまえよ」
「…。」
「海の者になって、体調戻してから、宝珠のこと考えればいいじゃん」
な? と、まるで懇願するように言う佐久間に、健二は済まなそうな笑みを浮かべる。
「…ごめん、佐久間」
謝罪の言葉を口にのせつつも、健二は首を縦にはふらない。
「…あー、もう!」
佐久間はがしがしと髪をかき混ぜると、健二と目線を合わせるように、枕元にあぐらをかいた。
「っとに、お前、見かけによらず頑固だよな!」
「…うん、ごめんね」
「だから、謝んなっつの。ってか、謝るくらいだったら素直に『海の者になる』って言ってくれりゃいいのに」
「あはは、それは無理。だって、僕が宝珠になれるとしたら『陸の者』であることが条件だと思うから」
世に一つと言われるほど珍しいものではないだろうけど、と小さく笑った健二は、ふっと笑みを消して遠くを見る。
「…でも、このまま、何もできずに消えたら、本末転倒だよね」
「健二…」
何かを振り切るように頭を振った健二は、ことさら明るく言った。
「海の者になったら、村のみんなが想像もできない程、長生きしたりするんだろうね」
健二の言葉に、佐久間はきょとんと一つ瞬いて首を傾げる。
「普通の海の者は陸の者と同じくらいの寿命しかないよ。竜宮に召し上げられて、高位の官につけばある程度は長く生きられるけど」
「え?! そうなの? だって、佐久間、もう八十年も生きてるんでしょ?!」
健二の言葉に、佐久間は「ああ」とばかりに手を打った。
「そっか、健二には言ってなかったっけ」
「何を?」
佐久間はにやりと人の悪い笑みを浮かべて言った。
「俺、竜の番いなんだ」
佐久間の言葉に、健二はきょとりと首を傾げる。
「つがい?」
「そ。鳥とかでもあるだろ? 雄と雌で一対ってやつ」
「あぁ、その番い。って、えぇ…?!」
言われた言葉の意味に思い至って、健二の顔が赤くなる。目と口を開いたまま、健二は佐久間をまじまじと見つめた。その顔をじっと見ていた佐久間は、こらえきれずに大声で笑い出した。ころりと床に転がって腹を抱えて笑う。
「なに、その顔! おもしれぇ!」
そんな佐久間に、健二は憮然とした視線を向けた。
「…ちょっと! からかわないでよ!」
何も知らないと思って! と憤慨する健二に、佐久間は笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら起き上がった。
「わりー、わりー。笑いすぎた」
はー、と一つ大きく息をついて座り直した佐久間は、健二を見て小さく笑った。
「からかってない。俺には竜の番いがいるんだ」
佐久間の顔に冗談の色がない事を見て取った健二は押し黙り、佐久間の次の言葉を待った。
「前にも言ったけど、俺、口減らしで海に捨てられただろ? でも、死にきれなくてさ、長いこと海を漂ってたんだ。それを拾ってくれたのが今の俺の番い。ここに連れて来てくれて、面倒みてもらって」
昔を思い出しているのか、佐久間は遠くを見るような目をする。
「出歩けるようになった頃、先代竜王に引き合わされてさ。『身の振り方を決めろ』って言われて、迷わず『海にいたい』って言った。陸に未練なんかなかったし」
言いながら、佐久間は両の膝を抱え込んだ。小さく丸まったその姿は、寄る辺を失った子供のようにも見えて、健二は思わず目を細めた。
「あの人の傍に、居たかったし…」
「佐久間…」
膝頭に顎を乗せて、佐久間はからりと笑う。
「ま、色々あったけどさ。今は傍に居られてるし、満足してる。そうだ。竜の番いはある意味宝珠と似てるんだぜ」
「え?」
「番いの竜が死ねば、俺も死ぬ」
健二は佐久間の言葉に思わず息をのんだ。佐久間の浮かべる笑みは穏やかなもので、そこに滲む感情に翳りは見えない。
「逆に言えば、不測の事態を除いて、番いの竜が死なない限りは死なないってこと。だから俺は普通の海の者とは違って長く生きてる」
「佐久間…」
「一蓮托生な感じが共犯っぽくていいだろ?」
いたずらっぽく笑う佐久間に、健二も小さく笑った。
「ねえ、佐久間」
「ん?」
体に障るからと布団に寝かしつけられた健二が、掛け布の下から半分だけ顔を出した状態で、出口へ向かおうとしていた佐久間を呼び止めた。
「どうした?」
歩み寄り身を屈めた佐久間に、視線をさまよわせた健二が小さく問いかける。
「佳主馬くん、元気?」
「佳主馬?」
「うん」
健二の口から出た名を確認するように繰り返した佐久間は、ことりと首を傾げた。
「元気もなにも。あいつが病気してるとこなんて見た事ないぞ」
まぁ、佳主馬だけじゃなく竜全員に言えることだけど、と続けた佐久間に、健二はほっとしたように笑みを浮かべた。
「そっか。良かった。…あれから、全然顔見せにきてくれないからさ。具合でも悪いのかと思って…」
「健二…」
「久しぶりに、佳主馬くんの顔、見たいな…」
すうと、一つ深い息をついて眠りに落ちた健二を、佐久間は呆然と見やる。きゅっと唇を噛むと、乱れた健二の髪を梳いた。思わず、震える声が小さく漏れる。
「…お前、お人好しにも程があるぞ、健二」
佐久間は深く長いため息をついて、ずれた掛け布を直すと足音を立てないように部屋を出た。
健二の部屋を退出した佐久間は、足音荒く外宮へと続く回廊を歩いていた。胸の中に淀むものを吐き出せず、つい苛々と舌打ちをする。
外宮の内門をくぐったところで、ふいに横から伸びてきた腕に絡めとられた。床から離れた足が空をかいて、思わず佐久間は手近にあった布を握りしめる。しかし、驚いたのは一瞬で、すぐになじんだ香りを感じて緊張した体の力を抜いた。自分を抱え上げた長身の名を呼ぶ。
「理一さん!」
「…皺、寄ってるよ」
ここ、と眉間を押されて、佐久間は思わず手をやった。自分を見つめる深い色の目がゆるりと緩むのに、ほっとして引き締めていた口元を緩める。
「健二くんの様子はどうだった?」
穏やかな声に聞かれて、せっかく緩んだ佐久間の口元が歪む。眉が寄せられて、薄い鳶色の目に涙が盛り上がるや、額を押さえていた腕が縋るように理一の首に回った。ぎゅっと、言葉もなく抱きついてくる細い身体を抱きしめて、理一は深いため息をついた。
「…芳しくないんだね」
理一の頬に触れる柔らかい髪が、何度も上下する。
「…れ」
「うん?」
「おれ、できることなら、かずまをなぐりたおしてやりたい…」
嗚咽に混じって呟かれた言葉に、理一はただ黙ってその頭をなでた。
※ブラウザバックでお戻りください