竜王×宝珠
Paralell
 

「健二、こっちだ!」
「こっち!」
 高く笑う子供の声が院子に響く。
 手を引かれるまま東屋の階段を降りた健二は、ふいに差した光に目を細めた。白い岩肌に赤珊瑚が枝を張る庭は、その色彩の鮮やかさもあって目にまぶしい。そんな庭に配された大小様々な苔むした岩を、慎吾と祐平が先を争って昇って行く。
「ちょ、ちょっと、待って! 危ないよ…!」
「大丈夫だ!」
「へーき、へーき!」
 どういう不思議か、中央に配した小山から流れ落ちるのは翠に輝く小滝だ。敷き詰められた白砂は、踏む度にしゃらしゃらと涼しげな音を立てた。健二の手を引く真緒と加奈が笑みこぼれるその姿がまぶしくて、健二は思わず目を細めた。
「ほら、ここに桜貝がいるの!」
 自慢げに指し示す真緒に並んで、滝壺を覗き込む。小さな指が指し示す先には、うす青い光を放つ二枚貝が数個、澄んだ水の中に漂っていた。
「綺麗だね」
「でしょ?」
「健二は特別。みんなには秘密だよ」
 くすくすと笑う二人に健二も柔らかく笑んで頷く。その姿に、真緒と加奈は満足そうに顔を見合わせて笑った。
 健二が竜宮に流れ着いてから、寝込んでいた時間を別にしても片手では足りないほどの日数を過ごしていた。目を覚ました時に覗き込んできた二人の子供を筆頭に、健二はその姉弟従姉妹にまですっかり懐かれていた。
 世話をしてくれた女性──夏希という名だと名乗った──に伴われて与えられた部屋の庭先まで出歩けるようになると、『解禁!』とばかりに子供達に引き回されるようになった。お陰ですっかり萎えていた足腰も元に戻り、夏希や、典子、由美、奈々といった子供達の母親にも「顔色が良くなった」と安堵された。
「ほどほどにしときなよ」
 遊び疲れた子供達が健二の寝屋にもぐりこんで、静かな寝息を立てている。それを微笑ましく見ながら庭を眺めていた健二に、高いが落ち着いた声がかけられた。振り返った先に立つ人物に、健二は笑みを浮かべる。
「佳主馬くん」
「体力が回復したからって過信してると布団に逆戻りすることになるよ」
「大丈夫だよ」
 軽く笑いながら答える健二に、佳主馬と呼ばれた少年は一つため息をつくと健二の隣へ腰を降ろした。
「どうだか。前もそういって歩き回ってて帰れなくなってうずくまってたんでしょ」
「それは…」
 佳主馬と出会った時の事を言われているのだと気付いて、健二は苦笑する。
 意識を取り戻して三日程した頃の事だ。夏希に「散歩すると気分が変わるよ」と言われて、足の向くまま、広い宮の中を彷徨ったことがあった。大小様々な建物をつなぐ回廊から見る庭が珍しく、気付けばどこに迷い込んだのか、帰り道が解らなくなっていた。しかも、起きたばかりの健二は、行きがあれば帰りがあることを失念していた。回復したばかりの体力を使い果たして、東屋風の建物の階段に腰を降ろしていたところに通りかかったのが佳主馬だった。その小さな身体に見合わない力で健二を抱え上げた佳主馬は、呆れたようなため息をついてこの部屋へと連れてきてくれた。
「あの頃よりは体力も回復してるし、大丈夫だよ」
 でも、と健二は笑う。
「心配してくれて、ありがとう」
 笑みを浮かべた健二に、佳主馬はすっと目を逸らした。
「別に。礼を言われるような事じゃないし…」
 ぶっきらぼうに言う佳主馬に、健二はこっそりと笑った。その口調が照れ隠しであることは、何となく解るようになっていた。
「…どうするの、これから」
 視線を逸らしたまま言われた佳主馬の言葉に、健二もまた遠くを見る。
「…どうしようかな」
「このまま、ここで暮らせばいい」
 それは夏希や典子、果てはこの宮を取り仕切っているという万里子にも言われている言葉だった。
 もともと陸の者である健二は海に耐性がない。今は先代竜王の呪力を封じた玉を身につけることでその身体を保っているが、それもそう長くは保たないと言われていた。
 王と契約し、海の者として生きることを望めば、このままここで暮らすことができるというが、未だ健二はその言葉に首を縦に振っていなかった。
「そう言ってもらえると嬉しいけど。でも、贄として僕を捧げた村の人たちの事を考えると…。僕だけがここで何不自由ない暮らしをするのは…」
「なんで?!」
 言葉を遮った佳主馬の強い声に、健二は瞠目する。
「なんで陸の連中の事なんか慮るのさ! 奴らはあんたを切り捨てたんだよ?! ここで暮らすことに負い目を感じる必要なんてないだろ?!」
「…佳主馬くん」
「あんたのその思考、おかしいよ」
 言いたい事を言ったら落ち着いたのか、若干声を落とした佳主馬に健二は苦く笑った。
「…そう、かな」
「…僕は」
「…うん?」
「あんたがこのまま泡になって消えるなんて、許せないから」
「…ありがとう」
 ふいに沈黙が降りた。健二は抱えた膝に顎を乗せる。少しして、隣に座る佳主馬に顔を向けた。
「佳主馬くん」
「…なに?」
 海の中のはずなのに、東屋を通り過ぎて行くのは心地よい澄んだ風だ。その風が佳主馬のさらりと黒い髪を撫でていくのを、健二は目を細めて見た。
「佳主馬くんは、当代の竜王に会った事、ある?」
「…なに、突然」
 健二を振り返った佳主馬は、驚きにか目を見開いている。健二はそんな佳主馬に胸の内で首を傾げつつ、言葉を続けた。
「夏希さんに聞いたんだ。当代の竜王は宝珠を持たないって。そのせいで力が安定せず、裁量する季節もまわらないって」
 それって本当なのかな? という健二に、佳主馬は黙って俯いた。
「もしも。もしも、だよ? 僕がその宝珠になれれば、王の力も安定するし、陸の季節もちゃんと巡るんだよ、ね…」
 健二の言葉に、佳主馬は勢いよく顔を上げると驚きに目を見開いて健二を凝視した。
「…な、あんた、何いってんの?!」
「宝珠がどんな存在なのかも良く解ってない陸の人間が、何寝言言ってるんだって思われるかもしれないけど。僕がここにいる意味は、たぶん、そういう事なんじゃないのかな…」
 健二の言葉に、佳主馬は目を見開いたまま固まっている。そんな佳主馬に気付かず、健二は陽の降り注ぐ院子を眺めていた。ゆらゆらと光が描く紋は、穏やかな水面に似ている。
「…宝珠は」
「え…?」
 佳主馬の低く抑えた声に、健二は視線をすぐ隣へと戻した。
「宝珠は竜王が選ぶ。それは人の形をしていることもあるし、まさに珠の形をしていることも、世に二つとない宝玉のときもある。西の竜王の宝珠は深海に二つとない虹真珠だって聞いたことがあるし、北の竜王の宝珠は緋色の髪の人魚だって話」
 佳主馬の言葉に、健二は瞬きも忘れて聞き入った。
「でも、どれもがただ『竜王のため』に存在する。一度宝珠になったらもう王からは逃れられない。王が存在する限り側近くにあって、その呪力を支える。王が生きる限り、陸の人間には想像もつかないような長い年月を生きることになるんだ。そして、選んだ王が死ねば宝珠も死ぬ。そういう存在だよ」
 一度言葉を切って健二を振り返った佳主馬の目には、深く静かな暗い光が灯っている。怒りに似たそれは自分よりも幼い見かけの彼には似つかわしく無いもので、健二はこくりと息を飲んだ。
「そんなものに、なろうっていうの?」
 軽く、嘲笑するような佳主馬の口調に、健二は一瞬ひるんだ。
「それに、僕は知ってる」
 ついと立ち上がった佳主馬を追って、健二の視線が上がる。
「当代の竜王は、決して宝珠を選ばないよ」
「…え?」
 佳主馬の言葉に、健二の目が見開かれた。
「…かずま…」
 呼びかけようと口を開いた健二の声にかぶるように、高く鋭い音が響き渡った。はっとしたように佳主馬が音のした方へと視線を巡らせる。
「なに? 何の音?」
 慌てる健二を他所に、佳主馬は小さく舌打ちをするとその腕をとって引き寄せた。軽々と健二を抱え上げた佳主馬は、子供達が眠る寝屋へと押し込む。
「ここから絶対に出ないで! 僕か夏希姉が戻ってくるまで、ここでチビ達とじっとしてて! いいね?!」
「あ、か、佳主馬くん?!」
 それだけを叫ぶように言い渡すと、佳主馬は足音荒く東屋を出て行った。
「…何が、起こったの?」
 佳主馬が走り去った先を見ながら、健二はぽつりと呟いた。その声に答えるように、眠り込んでいた真緒が目をこすりながらむくりと起き上がる。
「いま、つげどりが、ないた?」
 幼い言葉に、健二は真緒へと歩み寄る。
「真緒ちゃん?」
 起き上がった真緒は、歩み寄った健二へと手を伸ばしながら少し不安そうに眉を寄せる。
「今、告げ鳥が、鳴いたでしょう?」
「あ、あの、高い、笛みたいな音のこと?」
 きゅっと健二に抱きついた真緒はこくりと一つ頷く。
「あれが鳴くとね。大人達はみんな、戦いにいくの」
「た、戦い…?!」
「そう、あの鳥は、深海から鯱が来た事を、告げるから」
 いつの間にか、慎吾や祐平、加奈も目を覚ましたらしい。子供達にすがりつかれながら、健二は陽の陰った薄暗い空を見上げた。






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