竜王×宝珠
Paralell
 

 高く、低く、鈴のような音が響いている。
 それは、小さく囁く小鳥のさえずりのようにも、風が貝殻を転がす乾いた音にも似ていて、掴めそうで掴めないもどかしさを残す。
 健二は漂う百合のような匂いに誘われるまま、うっすらと目を開けた。
「目ぇ、さめたか?」
「起きたか?」
 とたんに耳に飛び込んできた声に、健二はがばりとその身を起こした。急に起き上がったせいか、つきりと痛んだ頭を押さえてうずくまる。
 痛みをこらえて上げた視線の先、紗のかけ布の向こうから小さな子供が二人、好奇心丸出しの顔で覗き込んでいた。
「…?」
 問いかけようと口を開いたが、舌が膠で固めたようにしびれて動かない。喉を通る空気がぜいぜいと耳障りな音を立てる。思わず喉に手をやったが、いたずらに空気の漏れる音がするばかりで声は出てくれなかった。
「目、さめたな」
「さめた」
 そんな健二の様子を気にする風もなく、よし、報告だ! と二人の子供は部屋を駆け出して行った。
「…。」
 健二はとたとたと軽い足音を響かせながら走り去る子供達を呆然と見送った。ややあって、きょとりと周囲を見渡す。細かい透かしの彫り込まれた白い柱が規則正しく並ぶ小さな部屋に、健二は寝かされていた。東屋風の建物には壁の代わりに薄い紗がかけられている。しかし、その紗の薄さをもってしても、外の景色までを透かして見せてはくれなかった。
 寝かされている布団も、健二が見た事もないような錦糸で彩られ、敷くのがもったいないほどに柔らかい。薄い肌がけはふわりと軽く、それでいてほのかに暖かかった。
 健二は痛む頭を騙しだまし、ゆっくりと起き上がる。ずいぶん長い事寝ていたのだろうか、立ち上がったとたん足がかくりとおれて、慌てて近くにあった柱にすがった。
 のろのろと歩いて部屋の端へとたどり着いた健二は、紗をはらりとめくった。その瞬間、目に飛び込んで来たのは鮮やかな紅。ちかちかと瞬くその光に、健二は思わず紗をつかんだまま倒れ込んだ。
「大丈夫?!」
 衣擦れの音がして、子供達が走り去っていった戸口から一人の女性が顔を出した。
 声のした方を振り返り、健二は思わず息をのむ。
 鮮やかな紅色の衣装を纏い、長い黒髪を結わずに背に流した女性が一人、立っていた。手には朱塗りの水桶と細口の水差しが乗った盆を持っている。驚いたように見開いた目は、吸い込まれそうな程に深い色をしている。
「まだ起きちゃだめだよ! 一月も寝てたのに!」
 女性は慌てて、手に持っていたものを布団の側に置かれた小さな卓に置くと、健二の元に駆け寄った。その細腕に見合わない力で健二を助け起こすと、そのまま布団へと促される。
 有無を言わさず布団へと寝かされ、肌がけにくるみ込まれた健二は、戸惑いを隠せずにおろおろとその女性を見上げた。
「目、さめてよかった。痛いとこはない? 声…は、まだ出ないよね。うん、分かってる。大丈夫だよ、しばらくすれば出るようになるから」
 にこりと笑って矢継ぎ早にそう言いながら、女性はてきぱきと床を整えていく。ゆっくりと起こした背に山ほどの枕(これも錦糸で刺繍が施された見た事もないほど見事なものだった)を宛てがわれ、手桶に入れられていた手ぬぐいで軽く顔と腕を拭かれる。次いで蒼い杯が手渡された。
「はい、これ飲んで」
 水差しから注がれたのは水に見えたが、それにはうっすらと赤い色がついている。飲んだものか迷って視線を向ければ、女性は苦笑してため息をついた。
「だーいじょうぶ。毒なんか入ってないから!」
 ほら、飲んで飲んで、と杯を押されて、健二はそのつるりとした杯のふちに口をつけた。とたんに鼻孔をくすぐったのは、濃い花の香り。
 一気に喉の乾きが押し寄せて、健二は勢い良く杯を飲み干した。とたん、けほりと咳が一つ出て、痺れていた舌の感覚が戻ってくる。
「もう少し飲める?」
 こくりと頷いた健二に、女性は満足そうに笑って杯に水を注ぎ足した。健二は、今度はためらうことなく杯に口をつける。杯を傾ければ、乾ききった喉をゆっくりと水が通っていく感触が鮮やかだった。
 それを幾度か繰り返し人心地ついた所で、健二は杯を女性に返した。幾度か咳をして、からからと空気が抜けていくばかりだった喉に声が戻って来たことを知る。
「…あり、が、とう、ござい、ました…」
「はい。お粗末様でした」
 返された杯を受け取りながら、女性がにこりと笑う。
「…ここ、は…?」
 その笑みにほっと一息ついた健二は、先ほどから持っていた疑問を口の端に乗せた。
「ここは四海の王の一柱、南の竜王の居城。人がいうところの『竜宮』だよ」
 気負った風もなくさらりと返された答えに、健二は目を丸くした。
「りゅう、ぐう…?」
「うん」
 健二の呟きにこくりと頷いた女性は、先ほどの子供達同様、好奇心に満ちた目で健二を覗き込んだ。
「陸の人なんて、何年ぶりだろ! ね、ね、船が難破しちゃったの? それとも漁の最中に船から落ちちゃったとか?」
「え、あ、や、えと、あの…」
 女性の勢いに押されつつ、健二はどう説明したものか逡巡する。
 まさか、竜宮城にたどり着いてしまうとは思ってもみなかった。贄として海に入ったのは事実だが、海の泡と消えるのが関の山だと思っていたのだ。それがどうしたわけか、こうしてまだ命がある。
 ふと、健二は思った。これは夢なのではないかと。人は今際のきわに長い夢を見るという。そうでなければ、お伽噺にいう竜宮城にたどり着けるなど、あり得ないではないか。
「どうしたの?」
 不思議そうな女性に声に、健二ははっとして顔を上げた。どう話したものか迷って、肌がけの上に投げ出したままだった手をぎゅっと握る。
「…ほ、くは、贄として、海に、入りました。何年も、村では不漁が続いて、夏は暑さを忘れて、作物も稔らず…。だから、選ばれて、龍神様に…」
 健二の言葉に、女性は驚いたように目を見開いて、次いできゅっと唇を噛み締める。
「…そっか。そうだよね。陸では、夏がまわってない、よね」
 女性の言葉に健二は小さく首を傾げた。そんな健二の様子に気付いたのか、女性が小さく笑う。陸の人は知らないかもしれないけど、と前置きして話し始めた。
「海に四海があって、陸には四季がある。四海にはそれぞれに王がいて、その王が陸の季節を裁量してるの。東の竜王は春を、西の竜王は秋を、北の竜王は冬を。そして、夏を裁量してるのが、南の竜王なんだ」
 健二は女性の言葉に目を見開いた。陸の季節の裁量も海に棲む王が持っているとは初耳だ。
「まぁ、いずれ分かると思うから言っちゃうけど。この南の竜宮の主が、代替わりしたの。新しい竜王は、未だ宝珠を持たない雛で。陸の季節がちゃんと回ってないのは、たぶん、そのせいだと思う…」
 ごめんね、と頭を下げた女性に、健二は答える言葉を持たなかった。






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