退魔師×巫女
Paralell
天啓の在処

「今の子、誰?」
「佐久間んとこの跡取りよ」
 弟の問いかけに、理香は手に持った書面から視線もあげずに答えた。
「佐久間? 札師の?」
 明るい髪の青年が歩み去った先を見ながら、理一が重ねて問う。
「そ。…あー、と、これ、母さんとこに持ってって」
 書類をばさばさと分けながら答えた理香は、数冊の束をとん! と音を立てて揃えると、隣に立つ理一へと押し付けた。
「…あそこの爺さん、息子いたんだっけ?」
「いたわよー。昔、『札師は継ぎたくない』って出てったけど」
「戻ってきたの?」
「爺さんの息子じゃないわよ。孫よ、孫。だいたいあれが爺さんの息子だったら、古希過ぎてから頑張った子供になるじゃないのよ」
 理一の言葉に、ようやく顔を上げた理香が呆れたように言う。
「…ああ、そうか」
 確かに、『札師といえば佐久間』といわれた理一もよく知る人物は、今年卒寿を迎えたほどの年だった。さっきの青年はどう見ても二十歳前だ。普通に考えれば息子であるはずがない。
「跡継ぎたくないって出てった息子の息子なんだってよ。奇特よね〜。このご時世に札師なんて特殊な職業継ごうなんてさ〜」
「…それ、姉ちゃんも人の事言えないと思うけど」
 苦笑しながらそういえば、丸めた報告書でぱこんと膝を叩かれた。
「おだまり!」
「いて」
「ほら、これも。さっさと母さんとこ持ってって」
 そういって差し出された書類を受け取って理一は苦笑する。
 たまに実家に戻ってくれば、『立ってる者は親でも使え。親でないならなおさら使え』とばかりにあれやこれやと雑用を言い渡される。本当にこの家の女性陣は強い、と改めて思いながら、理一は姉の作業部屋を出た。
 理一は母のいる表座敷横の部屋へと足を向けながら、座敷をぐるりと囲む廊下から庭を見渡した。夏の装いを脱ぎ、すっかり秋の紅へとその衣をかけかえた楓が、庭の隅に鮮やかに佇んでいる。
 実家に戻るのは半年ぶりだ。今年は夏に雨が少なく降雨の法が何度となく行われた。本家でも二度程執り行われたが、その時に帰ってきて以来だと思う。
 二度目の祭事の時に姉の理香が「おばあちゃんのお眼鏡にかなう招命巫女が来たのよ」と嬉しげに話していたが、結局顔を合わせることなく職場へ戻ることになった。だから、先ほど会った青年がそうなのかと思ったのだ。少しきつめの目と色素の薄い髪が印象的だったが、まさか自分もよく知る札師の跡取りだとは思わなかった。
 よくも悪くも、この仕事に関わる人間からは一種独特な空気が漂う。本家の人間しかり、分家筋の人間しかり。もちろん、自分の家族も例外ではない。しかし、あの青年からは本家やそれに連なる血筋の人間が持つ空気が感じられなかった。
 家業を継ぐ事を拒み家を出たというあの青年の父親は、この空気に気付いていたのだろうか。そして、その空気に染めることなく息子を育てようとしたのだろうか。
 どちらにしても、その子供は自らこの世界に来ることを望んだ。ならばきっと、彼の纏う空気もそのうち自分達と等しくなっていくのだろう。
 理一は、つらつらとそんな事を考えながら、母の部屋の障子越しに声をかけた。


 久しぶりに実家に戻った理一は、いつものように姉の作業部屋へと顔を出した。他愛もない世間話をしつつ視線を巡らせて、部屋の片隅に置かれたそれに目を止め、軽く首を傾げる。それは今まで、相性の問題もあってこの家ではついぞ見かけることのなかった文明の利器だ。
「…姉ちゃん」
「んー?」
 理香は手元に落とした視線を動かさずに生返事を返す。
「これ、使えるの?」
「どれー?」
「これ」
 訝しげに顔を上げた理香が、弟の指差すものを認めてきょとりと目を瞬く。
「…使えるから置いてあるんでしょ」
「この類いの機械はすぐ使えなくなるから置かないって、前に言ってなかった?」
「それねー。…えーと、なんつったっけ。なんか壁作ったから大丈夫とかなんとか…」
「壁?」
 それだけ言うと理香は紙面へと視線を戻してしまった。姉の要領を得ない返答に、理一はため息を一つつくとスリープしていたパソコンを起動させる。特にパスワードはかけていないらしく、すぐに見慣れた青白い画面に切り替わった。
 マシンスペックやOSのバージョン、インストールされているソフトなどを確認していく。どこにでもある、ごく普通のパソコンだ。しかし、ネットワークの環境設定を開いた理一は、思わず眉間に縦皺を寄せてしまった。じっと設定画面を見つめ、詳細設定やプロパティを開いていく。
「…姉ちゃん」
「なによー」
「これ、誰がここに置いたの?」
 じっと、画面を見たまま問いかける弟に、理香は面倒くさそうに顔を上げるとぽりぽりと額をかいた。
「佐久間くんだけど?」
 姉の口から出た名前と記憶の中にある顔が一致するまでに要した時間はほんのわずか。理一は軽く目を見開いて、凝視していた画面から視線を姉へと向ける。
「佐久間、くん?」
「そ、佐久間くん。それがなに? どうかしたの?」
「…いや、なんでもない」
「そ? それはともかく。今度のお盆は帰って来れるんでしょうね? あんた、この間は『急に帰れなくなった』とか言って来たから、母さん、凄い剣幕だったのよ」
 なだめるのに苦労したんだから、という姉に苦笑を浮かべると、理一は座っていた椅子から立ち上がる。
「帰れるように努力するよ」
「努力じゃなく行動で示しな」
「はいはい」
 理一は姉の苦情に愛想程度の返事をすると、机の上に置いていた携帯を取り上げポケットへと入れた。
「ところで。佐久間くんて、どこにいるのかな?」
「は? 佐久間くん? たぶん、離れの札師部屋か書庫にいると思うけど。なによ、急に。なんか用でもあんの?」
「うん、ちょっと野暮用」
 にこりと笑った理一は、からりと障子を開けるとしんと冷える廊下を離れへと向かって歩き始めた。
 離れに辿り着いた理一はまず手前にある書庫を覗いた。冷えた暗い室内に人の気配はない。ここではなかったかと、札師が各々部屋を持つ一角へと足を向ける。廊下に面した板戸の一つが薄く開いており、中から灯が漏れている。
「失礼」
 薄く開いた引き戸を軽く開け、中を覗き込みながら声をかける。果たして、そこには、探していた人物が文机に積み上げられた書類に囲まれて、ノートパソコンを前に書類整理らしき作業をする姿があった。
 理一は薄く笑みを浮かべると、部屋の主の返事も待たずに室内へと足を踏み入れた。大股に歩いて、青年の向いにある文机の前に腰を降ろす。その行動を目で追っていた青年の、眼鏡の奥の眼が訝しげに細められる。それがまるで人に懐かない野良の子猫のように見えて、理一は小さく笑った。
「そんなに警戒しないでほしいなぁ」
 文机に頬杖をつきながら言えば、さらに空気が硬化する。
「…何か?」
「うん、用があるから来たんだよね」
 意識してそう言えば、いっそ、嫌みな程ににこやかな笑みが返された。
「…では、用件をどうぞ?」
 まるで京都のお茶屋の女将が「ぶぶ漬けでも食べて待っといておくれやす」と笑うのと同じ響きがこもった台詞に、理一の笑みが深くなる。
「システムを組んだのは佐久間くんだって聞いてね。仔細を聞きに来たんだ」
 佐久間の目がきょとりと一つ瞬いた。
「…用件って、それですか?」
「そうだけど?」
 なんだ、と言いたげに肩の力を抜いた佐久間に、理一は内心で首を傾げる。彼は何を聞かれると思ったのだろう。
「システムの構築に関してはキング…、じゃなくて、佳主馬くんに聞いてください。俺は言われた通りにプログラムしただけなんで」
 言いながら、書類の整理に意識を戻してしまった佐久間に、理一は軽く目を見張る。
「佳主馬?」
「そうですけど?」
「なんで?」
「なんでと言われても…。一応、ここのシステム管理者は佳主馬くんですし」
「…なるほど。佳主馬に聞くとしよう」
「そうしてください」
 軽く肩をすくめて言った理一に、佐久間が書類から顔を上げずに小さく笑う。そのまま、読み終えた書類の一部にオレンジのマーカーでラインを引くと、佐久間は傍らに置かれたノートパソコンへと文字を入力していく。机の上に置かれた、硯や文鎮と、ダブルクリップで纏められた紙の束、ノートパソコンがいかにもちぐはぐで、理一はその仕草をじっと見つめた。
 二つ程の紙の束で同じことを繰り返したところで、佐久間がため息をついて顔を上げた。
「…まだ何か?」
「やっとこっちを向いてくれた」
「…は?」
 理一の呟きに、佐久間の目が再びいぶかしげに細められる。理一は小さく笑うと、佐久間の方へ、ずいと身を乗り出した。
「今度、食事でも一緒にどうかな?」
 理一の言葉に佐久間がぽかんと口を開けた。
「…はい?」
 佐久間の顔にはでかでかと「何言ってんだ、この人」と書いてある。
「普段この家にいないものでね。新しく来た人と親しく話す機会が少ないんだ。できれば、プログラムの話も詳しく聞きたいし」
 どうかな? と笑みを浮かべた理一に、佐久間はゆっくりと手に持っていた書類を置いた。理一の目をじっと見つめて、にっこりと笑う。
「…そのうち、時間ができたら」
「よろしくね」
 拒否の意思を込めた社交辞令を口にする佐久間に、理一もまたにこやかな笑みを返した。

「随分楽しそうねぇ」
 姉の言葉に理一は読んでいたページに栞を挟むと本を閉じた。
「新米札師さんにご執心らしいじゃないの」
「あれ? もうバレてる?」
 おどけて言う弟に、理香はげんなりとため息をついた。
「バレてるに決まってんでしょ? あんた、今まで年末年始と盆くらいしかここに戻って来てなかったでしょうが。それを月に2回も3回も敷地内で見かけりゃ、誰だっておかしいと思うわよ」
 ま、気軽に使えるからいいけどね、と言いながら書類に判を押す姉に、理一は苦い笑みを浮かべる。
「母さんも『一生独りでいられるよりは、誰かと添ってくれた方がいい』って言ってたし」
 その言葉に、理一は思わず手に持っていた本を落としかけた。
「…はい?」
「まぁ、佐久間くんて、あんたの好みどんぴしゃだな〜とは思ってたけどさ」
 判を押した書類を文箱へと入れながら、理香が指折り数えるように言う。
「頭が良くて、機転が利いて、言葉の裏側拾ってくれそうな美人系。しかもパソコンにも強い、と」
 あれで女の子だったらねぇ、と続ける姉に、理一は開いた口が塞がらない。
「…姉ちゃん、何の話?」
「とぼけなくてもいいって。母さんも佐久間くんは気に入ってるし」
「や、だから…!」
「まぁ、嫁、ってのは無理だけど、いずれはそれに近い扱いになるわね」
「…。」
 姉の言葉に理一はくらりと視界が揺らいだような気がした。
「…姉ちゃん」
「なによ」
「言っとくけど、佐久間くんとはそういう関係じゃないから」
 軽くため息をついて言った弟に、姉の冷たい視線が向く。
「…それ、どの口が言ってんのよ」
「この口」
「あんたねぇ…」
 判子を机に置いた理香は理一へと身体ごと向き直ると、大きなため息をついた。
「産まれてこの方、四十年はあんたの姉やってるけど、あたし、あんたが他人にこんだけ金と時間つぎ込んでるとこ、初めて見るわよ。昔の彼女にだって、こんなに頻繁に自分から会いに行ったことなかったじゃないのよ」
「それは…」
 プログラムの話を…と続けようとした理一に、追い打ちをかけるように理香の言葉は続く。
「しかも連れ回してる店が自分のお気に入りの行きつけばっか。要するにそれって『好みの味覚えてね』ってことでしょ?」
「…。」
 無言のまま固まる弟に、姉はふんと一つ大きく息をつく。
「ったく、良い年したおっさんが何やってんだか」
 書類に向き直った理香は本を手に固まったままの弟に、犬を追い払うような仕草で「しっしっ」と手をふる。
「わかったらさっさと行きなさいよ。待ち合わせの時間、そろそろなんじゃないの?」

 佐久間と煮物の鉢をつつきながら他愛もない話をする。その間にも、理一の脳内では姉に言われた言葉がずっとぐるぐると回り続けていた。
 姉の言わんとしていることは解る。確かに女性も含め、他人に対して、これだけの時間を自分から都合をつけてまで確保して会おうと思ったことはない。
 それが、彼に対しては違った。滅多に実家に帰らなかったというのに、休みの度に札師部屋へ顔を出すようになった。普通に会話を交わすまでに約一ヵ月、メールアドレスの交換にこぎ着けるまでに約二ヵ月、初めて食事に誘うことに成功するまでに五ヵ月を要した。そして、思い返してみれば、それが少しも苦ではなかった。むしろ、そうしなければいけないような気までしていた。
 肉じゃがには豚肉がいいだとか、南瓜の煮物には鳥のそぼろあんをかけたものが好きだとか、嬉しそうに話しながら料理に手をつける佐久間に相づちを打ちながら、理一は傍らの湯のみを取り上げる。
「それにしても。佐久間くんは本当にプログラムに詳しいね。なんでその道に進もうと思わなかったの?」
 前から疑問に思っていたことが、口をついて出た。
 佐久間は煮物を頬張ったまま、目で「なんですか? 突然」と問いかけてきた。
「佐久間くん、プログラム好きだろう? なんでそれを職業にしなかったのかな、とね」
 湯のみを持ったままそう言えば、頬張っていた煮物を咀嚼して飲み込んだ佐久間が小さく笑う。
「黙秘権を行使してもいいすか?」
「できれば行使して欲しくないけどね」
 肩を竦めてそう言えば、佐久間は声を立てて笑う。
「俺、健二とは幼なじみなんすよね」
 目の前の小鉢に盛られた春菊のごま和えに箸を付けながら、佐久間がぽつりと呟いた。理一は、唐突に話し始めた佐久間に、軽く目を見開く。
「あいつんち両親共働きだったから、親が帰ってくるまではよくうちで一緒に遊んだりしてたんすよ」
 うちは母が専業主婦だったんで、という佐久間に、理一は黙って頷く。
「健二、昔から人には見えないものをよく見てました。そのせいで怪我することもあったみたいで。俺は『見えるんだー』って程度にしか思ってなかったけど、健二の両親は違った。特に健二の母親は、だんだん健二と一緒にいることをいやがるようになってって…」
 昔を思い出しているのか、佐久間の箸はすっかり止まっている。
「その頃、ずっと疎遠だったじいちゃんがうちに遊びに来るようになって。健二を一目見るなり、札を一枚書いてくれたんです。まだ俺ちっさかったから、紙にみみずがのたくってるような絵が書いてあるようにしか見えなかったけど。今思えば、『見鬼封じ』だったんですかね。健二、その札を持つようになってから、無駄に変なもの見ることもなくなって、怪我も減って…」
 箸を置いて、湯のみのお茶を飲み干した佐久間に、理一は急須から茶を注ぎ足した。
「中学卒業する頃まで、じいちゃんが毎年札書いてくれてたんすけど、俺が高校入学した年に『札師を引退することにしたから』って、『これが最後の札だ』って言われて」
 湯のみを握る佐久間の指先が白くなる。
「じいちゃんの札がなくなったら、健二、また怪我したり、無駄に変なもの見たりするようになるかもしれないって。そう思ったら、つい言っちゃってたんすよね。『俺が札師継ぐ』って」
 健二のために将来決めちゃったようなもんなんですかね〜、と笑う佐久間に、理一はすぅっと血の気が引いて行くような気がした。次いで訳もなく、怒りに似た黒い感情がこみ上げてくる。
「もっとも、その力のお陰で健二には居場所が出来たんだから、もう俺が札書く必要なないんすけどね」
 そう言って笑う佐久間に合わせて笑みを浮かべながら、理一はひっそりとため息をついた。
 分析するまでもなく、わき上がった感情は『嫉妬』だ。自分は佐久間の将来を決定付けた健二に対して嫉妬した。そのお陰で出逢えたということには、この際目をつぶっておく。
──ふむ
 さすがは姉というべきか。それとも、あまりに久しぶりだったために、自分の感覚が鈍っていたのか。
──どちらにしても
 気付いたからには、逃がす気はない。幸いにして、家族はすでに自分と彼をそういったくくりで見ている。
 無意識とはいえ、少なくはない時間をかけて糸を張り巡らせてきたのだ。後はそれをゆっくりと、破れないように引いて行くだけだ。
 とりあえず、来月からもまだ本家通いは続きそうだと思いながら、理一は湯のみで隠した口角を引き上げた。






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