『Hunter x Hunter ─前編』
しまったと思った時には遅かった。
お伴のアイルーの鋭い鳴き声が遠のいて行く。いや、遠のいているのは自分の意識の方だ。
目の前で再びばちりと音を立てて雷撃が炸裂する。汗に滲んだ視界に、近づいて来る蒼い巨体が映った。
─ここで死ぬのか…
そんな思いが脳裏をよぎる。サクマは小さく口角を引き上げて苦く笑った。
サクマは今年の秋にハンターになったばかりの新米だった。主な武器はライトボウガン。砲身と銃口部分は中古品だが、随分と丁寧に使われたいたようで物は悪くない。鍛冶屋の親父にも「弾道に若干癖は出るが悪くない」と太鼓判を押された大事な商売道具だ。
クエストによっては大剣を使うこともあるが、あまり得意ではなかった。近接武器の立ち回りよりも遠方からの狙撃の方が自分には向いているとサクマは思っている。
本当は火力の強いヘビィボウガンを手に入れたいところなのだが、サクマには体格的にも体力的にも厳しいものがある。ようやく成長期を迎えた体は手足ばかりがひょろりと長くて、筋肉が薄らとしか乗っていない。一度、先輩ハンターのヘビィボウガンを担がせてもらったが、重さにふらついて構えることすら難しかった。
「もう少し筋肉をつけないと、ライトボウガンでも反動を殺しきれないぞ?」
呆れたようにそう言われたことも苦々しい記憶として脳裏にこびりついている。
サクマは小さく息を詰めながらそっと一歩を踏み出した。草葉の影に潜みスコープでモンスターの位置を確認する。
今回受けたクエストは孤島と呼ばれる狩猟地での狩りだった。狩猟対象モンスターはドスジャギィ。新米ハンターにとっては大型モンスターの入門種とも言えるモンスターだ。小型の肉食モンスターであるジャギィや、やや大きめの体躯でメスのジャギィノスを従え群れを形成している。
群れで行動するモンスターならではの習性とでもいうのか、狩りの最中に短く区切った独特の咆哮をあげ仲間を呼ぶ。これは鳥竜種と呼ばれるモンスターに独特の行動で、ドスジャギィはその習性が顕著なことでも知られていた。
その小型モンスターの討伐はサブクエストに指定されることも多い。サブクエストにはなっていなくとも、狩猟対象のモンスターと一緒に狩れば討伐ポイントが加算される。このポイントは素材交換の際に必要になるため、新米としてはできるだけ稼いでおきたいところだ。
それに、と銃弾用のポーチに指を滑らせながらサクマは小さく溜息を吐いた。
ガンナーはとにかく金がかかる。クエストの際にギルドからある程度の弾は支給されるが、新米ハンターにとってはとても足りるものではない。一回のクエストに百発以上の弾を使うこともザラだ。その弾代がまずバカにならない。採取クエストで弾の原料になる素材を集めてはいるが、正直焼け石に水状態だ。
先輩ガンナーにもそういった人は多く、金銭的な辛さにかけては「ガンナーなめんな?」という台詞がある意味業界の常識になっていた。
サクマは足音を忍ばせてそっと木陰に身を潜めた。緑の木漏れ日の中、一際大きな体躯のモンスターを確認する。ドスジャギィだ。見事な襟巻き状のトサカが昼下がりの陽光に鈍く光っている。
赤灰色の鱗に覆われた背中を丸めて好物の屍肉を食べている。時折上体を大きく上げて周囲を見回す。何かに警戒しているような仕草にサクマは小さく眉を寄せた。そのまま周囲をスコープ越しに見回す。
周囲にはざっと見たところジャギィノスが3頭。これも漏らさず狩ればサブクエスト達成だ。サクマは小さく口角を引き上げると、スコープで照準を合わせながらそっと引き金に指をかけた。
ちらりとお伴のアイルーに視線を流せば、心得たように獲物へと走って行く。ドスジャギィの背後に回り込み、大きく飛び上がると手に持った武器で頭部へ一撃。虚をつかれた群れの首長は、体勢を建て直すと大きく威嚇の咆哮を上げた。強靭な足で地面を軽く掻く仕草をする。その瞬間を逃さず、サクマは引き金を引いた。
モンスターにはダメージを与えられる部位がある程度決まっている。その部位を破壊することで別途報酬素材が支給されることがあるのだ。ドスジャギィの場合は頭部破壊。つまりトサカの破壊だ。装備品を作る際にも必須になる素材なのでぜひとも入手しておきたい。
サクマは頭部の見事なトサカに通常弾を立て続けに撃ち込んだ。怯んだところで火炎弾に切り替える。弾を装填し引き金に指をかけたところで、ドスジャギィとスコープ越しに視線が交わった。
「やべ…!」
慌ててボウガンを抱えて狙撃位置から移動する。木陰を走り、視界の確保できる位置で再び照準を合わせれば、さっきまで己が居た草むらにドスジャギィが体当たりで突っ込んだところだった。
すぐさまスコープを覗き照準を合わせ、振り向いたドスジャギィの頭部目がけて火炎弾を撃ち込む。着弾と同時に上がる火炎を確認し、再び通常弾を装填した。覗き見たスコープの先、咆哮を上げたドスジャギィが再び体当たりの姿勢をとったのを確認する。
小さく舌打ちしてサクマは再びボウガンを手に立ち上がった。草むらを走りながら視線を流し、モンスターの足元にまとわりつくアイルーに鋭く口笛で合図を送る。その合図にアイルーが大きく身をよじってモンスターの背へと飛び乗った。手にした武器で火炎弾が着弾した頭部へと攻撃する。散弾を装填し周囲に群れる小型モンスターもろとも攻撃する。
数歩を走っては引き金を引き、受け身をとりながら地面を転がるとそこでまた引き金を引く。それを何度か繰り替えすうち、ドスジャギィの背に張り付いていたお供がお見舞いした一撃でドスジャギィの上体が大きく傾いだ。サクマは小さく口角を引き上げると弾をリロードする。
小さく鋭い悲鳴を上げ倒れ込んだドスジャギィに、サクマは脚を止めると、使い切った散弾の代わりに通常弾を装填しボウガンを構えた。照準を合わせて思いきり引き金を引く。
装填した通常弾が切れる直前、ドスジャギィの灰色の体躯が派手に背後へと吹っ飛んだ。周囲には五体程のジャギィノスの死体が点々と転がる。その合間に小柄なジャギィの死体も見えた。どうやらサブクエストも達成できたようだ。これで成功報酬額の上乗せ分も期待できる。
サクマは軽く息を吐くとボウガンを背に負った。にゃあにゃあと上機嫌に泣きながら足元にまとわりつくアイルーの頭を撫で、ゆっくりとドスジャギィへと歩み寄る。腰にさした剥ぎ取り用のナイフを取り出すとドスジャギィの分厚い皮膚へと当てた。思い切り力を混めて刃先を押し込み、素材を剥ぎ取って行く。
ドスジャギィの皮は厚くしなやかで強度もある。この皮で防具が造れれば大型モンスターの狩猟も多少は楽になるだろう。周囲に散らばるジャギィやジャギィノスの素材も欠かせない。それらも丁寧に剥ぎ取り手早く纏める。
素材を丁寧にたたみ、狩猟用ポーチに括り付けたところで、サクマはぞくりと背を撫でた感覚に肩を揺らした。
「…なんだ? 今の…」
膝をついた地面から微かに振動伝わる。規則正しい間隔で伝わってくる微かな揺れは明らかに大型モンスターの足音だ。剥ぎ取り用の小型ナイフを鞘に仕舞い、荷物を担ぎアイルーに目配せして慌てて木陰に走り込んだ。木陰に身を潜め振り返ったところで、サクマは先ほどまで自分が居た場所に雷撃が落ちるのを見る。足音を辿るように、二度三度と落ちた雷撃が地面を抉って行く。
震える手で背に負ったボウガンを下ろしたところで、サクマの額を嫌な汗が伝い落ちた。傍らに踞ったアイルーも武器の柄を握りしめてかたかたと小さく震えている。片膝をつき、ボウガンを構えたサクマの視線の先に、ずしんと重い地響きと共に蒼い巨体が姿を現した。
頭部から突き出た二本の角。白い鬣。その下から全身を覆う蒼い鱗。背にある鱗状の突起からはぱちぱちと小さな音が漏れ、それが帯電していることを知らせている。荒々しく隆起した肩には鋭く硬化した鱗が鈍い光を放っていた。爪先から腕にかけても鋭く堅い鱗に覆われ、覗く爪は太く鋭い。
ずしりと、重い音をさせて獣が一歩を踏み出す。それにサクマはこくりと息を飲んだ。
噂には聞いたことがある。雷撃を放つ蒼い大型モンスター。狩りに慣れたベテランハンターですら、準備を怠ると手痛い目にあうという。
「…ジンオウガ」
サクマのような新米ハンターが戦える相手ではない。装備は強化もしていない初期のものだし、圧倒的に経験が不足している。何より、ドスジャギィの狩猟で持ち込んだ銃弾はほぼ撃ち尽くした。今手元にあるのは数発の散弾のみで、徹甲榴弾はおろか貫通弾すらない。とてもジンオウガに太刀打ちできるとは思えない。
逃げなければと思うのに、しかし、サクマは脚が震えて逃げようにも一歩も動くことができずにいた。足が笑うってこんな感じなのか、と場違いな感想が脳裏を過って行く。
ボウガンを中途半端に構えたままのサクマをひたりと睨み、その巨大な獣は大きく咆哮を上げた。びりびりと震える空気に、サクマは思わず耳を押さえて「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
一度目の攻撃はなんとか避けた。
お伴アイルーの一撃のおかげで硬直状態を脱したサクマは、脇目も振らずに拠点へと向かって駆け出した。お供のアイルーもそれに続く。
拠点の入口は狭く、堅牢な岩がモンスターの侵入を阻む。狩猟地でアイルーの巣を除けば唯一の安息地だ。縺れそうになる脚を叱咤してサクマはその安息地を目指した。
岩の間を抜け、小さな流れの沢を水を蹴立てて走る。が、しかしその距離は一向に広くなってはくれない。息を荒げて走るサクマの後を追うように、太く鋭い爪の覗く前足が地面を抉っていく。
クエスト中に他の大型モンスターが乱入することはよくあると聞く。しかし…。
「新人ハンター向けのクエストにジンオウガが乱入するなんて、聞いたことないっつの…!」
荒い息の合間に悪態をつき、サクマはちらりと背後を振り返った。揺れる視線の先、勇敢にも、お供のアイルーが樹の枝からジンオウガに飛びかかるのが見えた。
「ハヤテ!」
思わず大声でアイルーの名を呼ぶ。
「にゃ!」
掛け声と共にその武器を振り下ろす。それにたたらを踏んだジンオウガの太い蹴爪が深々と地面を抉った。がつりと前脚も使って踏みとどまると煩げに頭を振る。さらにもう一撃を振り下ろしたアイルーをぎろりとその青い目で睨み上げ、蒼い獣は無造作に前脚を上げた。
ジンオウガの太い前脚に弾かれたアイルーは空中でくるりと一回転すると、着地と同時に地脈へと潜り込む。止まることなく走るサクマの足元に明るい鳴き声とともに飛び出してきた。
それにほっと小さく息を吐いて、サクマはアイルーのお陰で少しだけ開いた距離にボウガンを背負い直す。萎えそうになる足を叱咤して無理矢理に一歩を踏み出した。
木立を抜け草地に脚を踏み入れたサクマは、ちらりと見えた拠点への入口にほっと安堵の溜息を一つ吐いた。
─あそこに駆け込めば…!
しかしそれがいけなかった。一瞬の気のゆるみが僅かながら走る速度を落としてしまった。その隙を逃さず蒼い獣がぐんと大きく跳躍する。
がつんと背に走った衝撃は二度。呼吸もままならず、雷撃と斬撃にサクマの体が横へと吹っ飛んだ。背中と、強かに打ち付けた肩がじんじんと痛む。それでもなんとか起き上がろうと地面に手をついたところで三度目の衝撃がサクマを襲った。
叩き付けられ、爪に引っかかった体が小石のように転がされる。そこに落ちる雷撃。
「…っかはっ!」
内臓をやられたのか、咳き込めば鮮血が地に落ちた。その赤を見ながら意識が遠のいて行く。
─受けたクエストには成功してたんだけどな
霞む視界の中で大きく前脚を振り上げた蒼い獣をぼんやりと見上げる。深い色の爪が陽光を弾いて鈍く光った。
─ここで死ぬのかな
サクマの足程の太さもある爪だ。あれで抉られたら、こんなぺらりとした薄い装備などひとたまりもないだろう。元々、ボウガンを使うガンナー用の装備品は、近接武器を使う剣士用の装備品に比べれば酷く薄く脆い。
掠れていく意識の片隅を『死』という文字が過っていった、その刹那。獣の影にもう一つ別の影が交差した。きんと高く鳴る金属音。閃く白刃に獣が怯んだような咆哮を上げる。さらに二度三度と鋭い金属音が続いた。その音に獣の咆哮が混じる。一際大きな咆哮の後、何かが倒れ込むような重い振動を地面に押し付けた頬越しに感じながら、サクマはその意識を手放した。
※ブラウザバックでお戻りください